持つ時代から、持たない時代へ 〜個人意識と全体意識〜
数年前から、「所有する時代から共有する時代へ」という言葉を聞く機会が増えた。そして今、シェアリングエコノミーという形で何かを共有することは、生活の中での利用も身近になってきている。空き家の持ち主と宿泊者をつなぐサービス「Airbnb」やライドシェア「Uber」などがその例だ。
実際今回の沖縄滞在でもシェアカーを利用した。
さて、このままの流れで、「持つ時代から、持たない時代へ」のパラダイムシフトが起きるのだろうか?そして、その世界は豊かなのだろうか。
今回は「所有」という概念について触れていきたい。
「所有」という言葉を検索すると、「自分のモノとして持っていること」と出てくる。
例えば、私の家、私の車、私のお金のように。
この中で、家は不動産登記簿が、車は車検証があるように明確に所有者が書かれているものもあれば、「私のお金」のように所有者が書かれていないものもある。仮にお金を落としたら、私のものではなくなるのではないだろうか…。そもそもお金には、所有者という概念があてはまるのだろうか…。
そういえば昔、冷蔵庫に入っているお菓子を勝手に食べ、兄に怒られたことがある。「名前を書いておいてよ!」と、反撃し撃沈したことを思い出した。ただ、それも兄が名前を書いていたら、彼のものになるのだろうか…。
もし仮に、一般的な所有概念がなくなれば、きっと兄との話のようなモラルの共有や、社会システムが機能しないなどの問題が起こるだろう。
大袈裟な話、誰かのモノを盗ったり、誰かの土地を勝手に使用することなどが起き、法律が役に立たなくなる。
現在は、モラルや法律などが守られているため、安心してモノをシェアしたり、譲渡したり、時には違うモノと交換することが可能だ。
当たり前のことを話しているが、起きていることの客観視は、生活の中のヨガだと僕は捉えている。
一見平等にも感じられる社会システムだが、この資本主義が目指す、たくさん所有している人が豊か、という概念は果たして本当だろうか? そうなると、お金を儲けるスキルが高い人だけが豊かになる資本主義社会(個人利益追及社会)では、所有している人と、そうでない人の差がどんどん大きく開いていく。
視点を変えていく。
ヨガの教科書と言われる『ヨーガスートラ』には、ヨガの実践の仕方として「八支足/アシュタンガ」が書かれている。8STEPを順番にこなしていくヨガ哲学の基礎のこと。
この階層の1番目と2番目には「ヤマ/禁戒」、「二ヤマ/勧戒」という道徳戒律がある。今回は「ヤマ/禁戒」に注目してみよう。
ヤマ:アヒンサー(非暴力)、サッテャ(誠実)、アステーヤ(不盗)、ブラフマーチャーリヤ(禁欲)、アパリグラハ(貪らない)
ヨガ哲学に触れている人なら「知ってるよ」という声が聞こえてきそうだが、今日はじっくり観てほしい。
4世紀からあるとされるこの教えを、現代を生きる僕達は素直にどう感じるだろう…。そこまで驚くことは書かれていないのではないだろうか。
言葉が適切かはさておき、人が生きる中で当たり前のことが書いてあると、僕は思う。
しかし、この思想が生まれた時代背景では、それが当たり前ではなかった。インド狂乱時代といっていいほど、秩序が保たれていない時代だったのだ。
だから言葉にする必要があったのだと思う。
この中から、今回のテーマである「アパリグラハ(貪らない」)=必要以上に所有しないという教えを観ていきたい。
当時は、食事を例に取ると、たくさん蓄えて食べられる人がいる対極には、食べられない人も多くいただろう。
そこから引いてくれば、この教えを「必要以上に所有すると、誰かに行き届かなくなるのでやめよう」という、全体へ意識させる思想と解釈することもできる。
また、現代はモノにあふれているため、誰かが過度に所有したからといって、上記のように「誰かに行き届かなくなる」と気づいている人は少ない。また現代は、哲学を投げかけるのではなく、冒頭に述べたシェアリングへの移行や、一定の会社などに富が集まるのではなく、個人単位で富を生み出せるといった社会システムの変化によって、我々に問いかけているのかもしれない。
今の時代は面白いことが次々と起きている。
資本主義というシステムの中で「豊かさ」を目指し、その山を登りきった人達が、今度は自身の所有するモノを分配していくようになってきている。きっと彼らが目指していた、”山の頂上”に答えはなかったのだろう。
19世紀半ばから続く資本主義も、時代の流れとともにもっと変化していくと、僕は期待している。
ヨガ哲学も今の変化していく社会も、個から全体を見ようという流れになっている。たくさん持っている人がいる一方で、食べられない人もいたという時代を経て、アパリグラハの「必要以上に所有しない」という意味は、今も昔も、「個人意識」とともに、「全体意識」を持って生きることが、本当の豊かさを手に入れるのだということを説いているのではないだろうか。これからの時代を豊かに過ごすヒントなのかもしれない。
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