テニアン島で感じた歴史の重み
サイパンの南に位置するテニアン島は日本統治時代の遺構が、数多く残る、北マリアナの有人島です。
観光業をメインに開発が進んだサイパン島とは異なり、テニアン島の北部は現在でも米軍の管理下となっており、その面積は島全体の約3分の2を占めています。現在は米軍基地や演習場として使われているため、再開発をのがれ、日本統治時代の建造物が多く残っているとのことです。
また、エノラ・ゲイ(広島へ原子爆弾を搭載して飛び立ったB29爆撃機の機名)とボックス・カー(長崎へ原子爆弾を搭載して飛び立ったB29爆撃機の機名)はここテニアン島でリトルボーイとファットマン(それぞれ広島、長崎に投下された原子爆弾のコードネーム)を搭載し、日本に向けて飛び立ったことでも知られています。
搭載前、広島に投下された原子爆弾には、「The first greeting to Hirohito(昭和天皇への最初のご挨拶)」、長崎に投下された原子爆弾には「The second kiss to Hirohito(昭和天皇への2度目のキッス)」と落書きされたそうです。
日本統治時代は、サイパン同様、サトウキビ栽培を基幹産業として、島は繁栄し、終戦前のピークにおいて、民間人だけで約16,000人の日本人が住んでいたといわれています。
サイパン島にも米軍に追い詰められた日本人が集団自決したバンザイ・クリフがありますが、悲しいことにテニアン島にもバンザイ・クリフがあります。また、8,010人の兵士が戦死していることから、現在でも日本からの遺骨収集団が定期的に訪れているとの話を伺いました。
つづく…