死臭

 ──腐った死体って、腐った魚の臭いだよね。
 誰かがそんな事を言っていた。その時その言葉は正確である気がしたものだ。だが腐った魚というのを実際に目にした機会はないはずだ。そういうものを扱う業者、漁師は別である。スーパーの魚は冷やされて新鮮であるし、寿司なんかも新鮮でなければ提供できないはず。だがなんとなく腐った魚のイメージができるのは何故だろう。漁港のあの独特の匂いだろうか。どこか甘ったるくそれ故に不愉快な。思えば何故良い匂いと嫌な匂いがあるのだろう。

 ──この度は誠にご愁傷様でございます。
 電話口でMがそう告げる。その後、故人の名前、住所、死亡地など決まった事を聞いていく。
 ──あ、あとお身体の状態は...。

 私は業務を終えて会社で締め処理している最中であった。
 ──仕事終わって申し訳ないんだけど、いま検死中のをお願いしたいんだけれど。ちょっと腐敗している程度なんだって。
 「ちょっと腐敗」
 口頭でだからどの程度かはわからない。だが少しならばやや緑色に変色したのを思い浮かべた。ゾンビのような死体。ゾンビは死んでいるからおかしな表現だ。しかし、ゾンビは死んでいるにもかかわらずあれ以上腐敗しようとしない。よくわからない原理で「生きている」ゾンビ。生きているのか死んでいるのかはっきりしない存在。思えば悲しい生き物だ。ゾンビが朽ちていく過程を描いたならばもしかしたらそれは初めての試みなのかもしれない。
 ──まず火葬してしまいたいんだって、その後骨で葬儀希望してるから打ち合わせもよろしく。手元にY君つけるから。

 お迎えまで時間があったから、Yとタバコを吸いながら話した。
 ──ちょっと腐ってるんだってさ。
 ──そうらしいですね。
 ──どんぐらいやろうな?
 ──さぁ?
 ──けどY君は腐っとっても平気なんやろ。
 ──見る分には平気ですけど、匂いは駄目ですね。
 ──勇敢だね。僕は匂いも見るのも駄目だ。
 まだ見ぬ死体にある種の興奮を抱きながら私達は警察署に向かった。遺族は待合室に居て、◯月上旬に亡くなった、葬儀できる状態じゃないから火葬をお願いしたいと言った。私は夕方だから今から火葬できない旨を伝えた。一旦会館の霊安室に納めて、そこの事務所で話をしようと言った。

 そうして警察署の死体安置所に向かう。何回か行っている筈だがそこにある死体は色々なわけで慣れることはない。冬場の死体は気温が低いため比較的綺麗な場合が多いが、夏場はそうではない。熱が死体の腐敗のスピードを速める。体格のいい警察官が二人。開かれたシャッターの向こうに白い袋が一つある。中身が見えない状態にはなっているが黒いシルエットが見える。これこそかつて人間だったものである。蠅が白い袋の上に数匹とまっている。だがこれは全て目に入った物。強烈に吐き気を催す匂いが立ち込めていた。しかしここで立ち止まるわけにはいかない。
 袋の中身を見るまでもない。そう思って私は棺を取りに行った。Yに手を借りようと後ろを振り返ると彼は納体袋のチャックを少し開けて中を見ていた。私は袋の中を見まいと目を逸らした。
 それからはもう無我夢中だった。早くこの汚物を封印しなければならない。興奮状態の私はすぐに袋を棺に納めて蓋をした。その後は警察官の手を借りて寝台車に乗せた。
 寝台車の中が臭くなったので窓を全開にした。車が動いているときはいいが、信号で止まったりすると臭いが漂い始める。なるべく赤信号でありませんように、と心の中で呟く。
 15分ほどして会館に到着。Yと一緒に棺を降ろす。すると棺の本体と上の蓋の隙間から例の死臭が漂う。警察署では全体に広がった臭いが収縮されて濃密度が増した。
 ──くっさ!
 ──くさいですね。
 私とYは思うことが同じらしく笑いあった。遺族はまだ来ていなかったのでいくらか開放的であった。そして棺は霊安室に納められた。結局打ち合わせは別の人が担当することになった。私たちは会館を後にして会社に戻った。


 あとがき
 3カ月くらい前に書き始めて途中で放棄していた作品。いつまでも下書きにあってもな、と思い無理矢理継ぎ足してオチのないまま終わらせる。もう少し頑張れよと自分でも思うが仕方ない。涼しくなって色々と意欲が湧いてきた。せめてもう少し面白い作品を書きたい。

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