シーナの夢 1
1
これは少しだけ未来の話。
幸崎角造は古くなった椅子に腰かけて本を読んでいた。
──つまらんな。私ならもっと素晴らしいものを書ける。
読みかけの本を閉じ、物思いにふける。彼は読書家であったが作家ではない。かつては資産家であった彼も近年の不況のせいですっかり落ちぶれていた。ただ働かなくても生活できるだけの金はあった。要は年金暮らし。年金があっても生活できない連中はごまんといたがそれに比べれば幾分ましであった。だが暮らしに困らないというのも困ったもの。一日のうちする事といったら読書か植物の水やり。読書にしても集中力が持たなくなったし、水やりも数分で終わる。だからほとんどの時間ボーっとしている。
食事はどうしているかといえばアンドロイドのヘルパー、シーナがやってくれる。少子高齢化で介護の需要が増した結果、人間に頼ることはもはやできなくなっていた。世界的にアンドロイドの発明が進み、介護用のアンドロイドが普及するに至った。見た目や知能も人間とそう変わらない、が大きな違いといえば人間に反抗しないくらい。詳しいことは幸崎自身よくわかっていない。不自由な体を動かす際の補助や一人暮らしの生活に彩りを加える程度の軽い気持ち。だから購入する際、店員の説明にも「はいはい」とわかってもいないのに適当な返事をした。アンドロイドも勝手に動くし、さしずめ手のかからないペットという認識。
──おい、シーナ。飯を用意してくれ。
──わかりました。
どこからともやってきてテキパキと冷蔵庫からパウチを取り出し、電子レンジに入れる。ボカン。何かが破裂する音が聞こえる。びちょびちょになったパウチから残っている液体を皿に載せた。そうしてシーナは汚くなった電子レンジに目もくれず急いで来た。その拍子に躓いて容器は床に落ち散乱した。
──この役立たずが!
幸崎は大声でシーナを怒鳴った。残念なことではあるが見た目こそ若々しい女性の姿をしたアンドロイドだが、中古品。性能はかなり劣化している。
──申し訳ありません。
──本当に何度言ったらわかるんだ。今度やらかしたらスクラップ工場行だからな。
──申し訳ありません、申し訳ありません。
何度も何度もシーナは頭を下げる。
──もう食欲も失せたわ。
──ですが食べないと…。
──その食べ物をお前がぶちまけたんだろ!
シーナはすいませんと言い、床の掃除を始める。拭くたびに排泄物のような茶色い液体が移動する。幸崎はぼんやりとそれを眺めていた。
いつの間にか床の汚れは綺麗になっていた。電子レンジは汚いままであったが…。だがそれについて何か言う元気はもうなかった。
〇月〇日
今日も失敗してしまった…
急いで切り込みを入れ忘れちゃった
どうしてこうもドジなんだろう
自分で自分が嫌になる
これじゃ、役に立つどころか迷惑…
2
ある日の事。
食事の買い出しに出かけたシーナ。
──えーと、買う物はメモを貰ったはず。
デジタル化の進んだ社会に関わらず幸崎はいつも紙のメモを渡していた。だがどこを探しても見つからない。
──あれ、貰ったはずなのに...。
どこにもない。ポケットの中にも財布の中も探したがない。けれどここで取りに戻ったらまたがっかりされる。いつも買うものはだいたい決まっているからそれを思い出して買ってみることにした。牛乳、水、ヨーグルト、流動食、ジャム…。一通り買い終えて外に出てみると雨が降っていた。もちろん傘は持ってきていない。そういえば幸崎が朝傘を持って行けと言ってたいた。
(どうしていつも忘れてしまうんだろう。)
自分の不甲斐なさに涙が出た。どうすることもできず立ち尽くす。
──もしかしてお困りでしょうか?
とスーパーの店員が声を掛けてきた。
──傘を忘れてしまって…。その…止むのを待ってます。
──予報だと今日はこの後ずっと雨です。よかったらこれを使ってください。
店員はビニール傘を差しだす。シーナが戸惑ったような表情を見せて
──その、風邪をひかない体ですし、お気持ちは嬉しいのですが…。
──いいんですよ。気なんか遣わなくても。困った時はお互い様です。
──すいません。ありがとうございます。
──雨が降ってがっかりする人はいますが、悲しむ人は初めて見ました。似てるけど違うニュアンスですね。
──その、傘を持っていけと言われたのですが忘れてしまって、それで情けなくなって…。
──いいじゃないですか。忘れられない人もそれはそれで大変なものですよ。
すこしだけニュアンスが違うなと思ったがそれについては触れなかった。そして差し出された傘を受け取った。
──ありがとうございます。後で返しに行きますので。
──いえいえ。気が向いた時で結構です。何本も貸していますが10本のうち1本戻ってこればいい方ですから。
──そんな…。
嬉しくももやもやした気持ちで帰り道を歩く。雨の中、傘を差さずに駆け足で走る人たちも中には居た。そうした人たちに申し訳ないと思った。けれども貸してあげることもできずに居る無力感。
(誰も助けられない)
しょんぼりした足取りでふと公園の横を通り過ぎる。するとどこからともなしにミャア、ミャアと泣き声がする。気になったシーナはその声のする方をキョロキョロ探す。
(響くような感じだから土管の中かな?)
果たして土管の中に子猫が一匹居た。段ボールにブランケットが敷いてある。食料も何日分かあるようだ。
(助けなきゃ。)
シーナは大切そうに段ボールを抱えて雨が当たらないよう傘で守った。そして幸崎の家に向かった。
──ただいま戻りました。
──朝言ったのに傘忘れただろう?なんだ、その段ボールは?
──猫ちゃんです。
幸崎はシーナを恐ろしい形相で睨みつけた。
──そんなものはどこかへ捨ててこい!
──そ、そんな…。せめて一日だけでも。
──おかしいな?私の言う事は絶対なはずだろう。
彼は挑発するような態度でシーナに臨んだ。
──もちろんです。ですが…。
──なんだ?
──かわいそうです。
──かわいそう、か。それはお前の思い違いじゃないのか。世の中殺処分される犬猫がどれだけいるか知っているか?知らんだろう。だいたい去勢を怠るから要らない命が生まれてしまうんだ。主人に捨てられた時点でもうお終いなんだ。死ぬまでが苦しいだけだ。死んでしまえばもう苦しくないんだ。生きることが善だと思うなよ。
──けどこの子生きようとしてるんです。死のうとしてるなら必死に鳴いたりしないはずです。それに誰かに拾われたってことは意味があると思うんです。
──意味か…。忌々しいことばかり言う。生きることが素晴らしいだとかそういう勝手な妄想には付き合いきれない。この私を見たらわかるだろう。死ぬにも死ねない人間が無残に、意味もなく生きているだけだ。死にゆく人間に何か生きる意味を見出そうとするのは徒労だ。その猫も同じだ!
──わかりました…。
シーナは不承不承に言った。
──最初から口答えなんかしなけりゃいいんだ。
シーナは外に出て車庫に段ボールを置いた。相変わらずミャアミャア猫は鳴いている。
──ごめんね。私無力で。幸崎さん本当は優しいんだけど、最近ちょっとイライラしてて。それに体が不自由だから育てられない、ってわかってるのかもしれない。けどなんでご主人様に捨てられたんだろうね。かわいそうに。
シーナが子猫を撫でるとほんのり暖かかった。けれどもどうしようにもない。そもそも逆らうことができないようになっているのだから。
──せめて幸崎さんが何か用事を言いつけるまで一緒に居てあげるね。ひとりぼっちなのは寂しいよね。幸崎さんもひとりぼっち。みんなひとりぼっち…。名前はあったのかな?わかんないよねー。私はシーナって言うの。幸崎さんの好きな作家に椎名さんっていうのがいてね。それでつけてもらったの。幸崎さんは色んなこと知っててね。例えば色んなお花の名前を知ってるの…。
シーナは言葉もわからない子猫に涙を流しながら話し続けていた。それはどうにもならない哀しさだった。助けたいのに助けられない事と、幸崎に逆らってはいけないことの板挟み。けれどもプログラム上幸崎を優先しなければならない。幸崎の言う事も一理ある。雨が降り続ける。
(拾ってしまったのは私だ)
では何かしらの落とし前を付けるのが拾ったものの責務ではないだろうか。元ある所に戻せはそれは捨ててしまった人間と同じことになる。一瞬シーナの頭の中である考えが起こる。
(幸崎さんの言う通り、殺してあげれば…)
けれどそれだけはしてはならない。じゃあ、どうすれば。あの傘をくれた店員さんならどうするのだろう。スーパーに戻って聞いてみたくなった。
ピンポーン。チャイムが鳴った。幸崎はすぐに動ける体ではないのでシーナが対応することになっている。
──ちょっと待っててね。すぐ戻るから。
急いで玄関に向かい扉を開ける。
──あのー、電話貰ってきたんですけど…。
──え?何のことですか?
──はあ、男性の方から猫がいるって電話があって保護しに来たんですが…。
──ああ!はい!
シーナは満面の笑みを浮かべて子猫を引き渡した。どうやら幸崎が保護団体に電話したみたいだ。
──じゃあね、元気でね。
シーナは幸崎の居る書斎に行った。
──先ほどはありがとうございます。
──ふん、殺したくはなかったんだ。だが、もうこれ以上面倒を背負い込むようなことをするんじゃないぞ。
──わかりました。
──少し意地悪なことをしてしまった。
本を顔が隠れてその表情を読み取ることは出来ない。
──それで、今日のご飯は?
──はい!買ってきました。
──メモが玄関にあったが…。
──いつもと変わらないと思いまして、いつもと同じ物を。
──で、それはどこにあるんだ?
──えーと、確かスーパーで買って、その後傘を貸してもらって、猫を拾って…。
そこまで言って公園に置いてきてしまったことを思い出した。
──公園に置いてきてしまいました…。今からとってきます。
──もういい。残り物でなんとかしてくれ。
その日は雨が止まなかった。
〇月〇日
今日はうかつだったなー
最初から拾わなきゃよかったのかな?
けどあの時見捨てることなんてできたのかな?
多分無理
今度からは保護団体に連絡できるから問題ないよね
けどこうしている間にもどこかでなにか捨てられているのかな…
あ、あと親切な店員さんに傘を返さなきゃ!
あとがき
3月から書き始めていたのだがかなり中断があって今に至る。最近の心境の変化も大きい。これまで人にどう見られるかばかり気にしていたが書きたいこと書こうと決めた。野間宏の『顔の中の赤い月』にしつこい表現があって、この人書きたいから書いてるんだろうな思った次第。長い話を書くことができないから短いがこれからいろいろと話を繋げて長くする予定。もっと書いてから投稿しても良かったがそうなると一生何もできない可能性があるので、見切り発車した形。未完にならないよう努力する。感想やハートは励みになるけれども、無くても完結させます。とりあえず投稿するが文章の見直しはあらためてする。いい訳ばかり目立つ自分が情けない。黒歴史は多い方がいい。あと見出し画像が欲しいところ。AIには頼りたくない(頑固)
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