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AIが翻訳を変える時代に、翻訳者はどう変わるのか

翻訳業界が、AIと機械翻訳によって大きく変化していることは、これまでにも何度か触れてきました。

いち翻訳者として、この変化のうねりの中にいる昨今、以下の記事が目にとまりました。

この記事には、AIと機械翻訳が翻訳業界に与える影響を端的に表した一節があります。

生成AIが吐き出した初期作業のゆらぎと綻びを人間が見極め

しかるべく修正を加えて完成させる。

高次の力を備えた翻訳者の存在を前提としたこのモデルは

高次の力を備えた翻訳者の喪失を想定していない。

膨大な時間と労力と資金を傾けて外国語を学ぶ人間が

苦学を重ねて留学費用を捻出し

本を読み人と交わって知性と感性を磨き上げたその先に

AIの間違い探しに明け暮れる毎日が待っているとしたら

果たして人はいつまで外国語に身を砕くだろうか。

未熟な機械の尻拭いをモチベーションとして

明日の翻訳者の母数はいつまで担保されうるだろうか。

モチベーションの低下が外国語離れを引き起こせば

高次の翻訳者は足らなくなり

高次の翻訳者が足らなくなれば

AIを監督する者が足らなくなり、

AIを監督する者が足らなくなれば

AIがAIを監督するようになり、

AIがAIを監督するようになれば

学習者の意欲はさらに低下し

学習者の意欲がさらに低下すれば

高次の翻訳者はいなくなり

高次の翻訳者がいなくなれば

そこはもう見わたすかぎりAIの世界である。

昔はあんなにわくわくしながら仕事をしていたのに、今ではモチベーションが下がってきているのはなぜなのか?

仕事が減ってきたのに、心のどこかでほっとしている自分がいるのはなぜなのか?

翻訳業界から身を引くことすら考えるようになっているのはなぜなのか?

これらの疑問に対する答えが、この記事のこの部分に凝縮されているように感じます(私が「高次の」翻訳者であるかどうかは別として)。

ただ、大部分の人間の翻訳者がAIに「取って代わられる」ことは、単なる「時代の流れ」の一コマに過ぎないのかもしれません。

これまで特許明細書の翻訳に長年携わってきた中で感じるのは、あまたいる特許翻訳者のうちのひとりに過ぎない自分が日々忙しく仕事に追われていられるほど、多くの発明が生まれているという事実です。人間の飽くなき好奇心には、ただただ感嘆するばかりです。

たとえば、電話交換手が電話回線の発達や機械化により姿を消し、電子的手段の登場で年賀状文化が消えつつあるように、技術は進化と代替の繰り返しで発展してきました。発明は日々生まれ、新しい発明に取って代わられる。そして、自分もそのひとつの要素に過ぎないのかもしれません。

「翻訳」の仕事の定義が『AIの間違い探し』に変わりつつあるのであれば、その変化にわくわくできない従来の翻訳者が市場から撤退し、新しい定義の「翻訳」に面白さを見いだす次世代の「翻訳者」が台頭するのも自然な流れでしょう。

決して悲観的な意味ではなく、このようにアメーバのように形を変えながら、時代は流れていくものだと思います。

変化に揺れる中でも、大きな時代の流れの一端にいることを受け入れ、私自身もまた、「アメーバのように変化しつつ」新しい形を模索していきたいと考えています。




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