【読書メモ】世界でいちばん幸せな男が教えてくれた、負の感情につぶされない考え方
誤解を恐れずに言えば、私はうんざりしていた。
先の大戦に関しては、これまでに何冊もの経験者の手記を学校や家で読んできた。映画も見た。多くは「戦争は恐ろしく、悲しいものだ。だから二度と繰り返してはいけない」というメッセージだったと思う。
それは正しい。
けれど、それと同時にうっすらとした押し付けのようなものも感じていた。二度と繰り返してはならないのは理解できるが、次世代に伝える方法として適切なのか、との疑問。
もしかするとそれ以外のメッセージもあったのかもしれないが、残念ながら私の感受性では受け取ることができなかった。
だから、時間が経つにつれ語り継ぐ人がいなくなり、「恐怖」や「悲しみ」が忘れられてしまうのは、仕方がないと思っていた。
だって、どんなに情感たっぷりの話を見聞きしたところで、私達はそれを実際に経験したことがない。経験したことがないので、当時の状況やその時代を生きた人たちの恐怖や悲しみを、本当の意味で理解できるはずはないのだから。
この本もそれに類するものだと思っていた。でも、『世界でいちばん幸せな男: 101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』を手にとったのは純粋な興味からからだった。
収容所での壮絶な体験、家族や友人との悲しい別れ。にもかからず、なぜ、著者は自分が幸せだったと言えるのだろう。なぜ自分の体験を伝えるのだろう。
最後まで読んでわかった。著者が本当に伝えたいのは、「恐怖」や「悲しみ」ではなかったのだ、と。
著者が伝えたいのは、絶望の中でも希望を失わずに生きること、そして怒りや憎しみから解放されることの大切さだった。
戦争の体験談を次世代に伝えることの本当の意味。それは、上記の著者の言葉に集約されている。
あの悲劇はなぜ生まれたのだろう。原因は憎しみだ、と著者は言う。そもそも、怒りや憎しみの連鎖を生まないためには、どうすればよいのだろう。
私達の日常にひそむ「負の感情」
いま、これまで以上に世界の分断が進んでいると言われている。
そこで『14歳から考えたい レイシズム』を読んでみた。もちろん、そういうものがあることは理解した。しかし、正直なところ私にはピンとこなかった。
日本で生きている私たちとって、人種差別はなじみがうすい問題だからだと思う。
ただし、日本に差別がないわけではない。
むしろ、はっきりとわかる状態で存在しないからこそ、やっかいなことも多いのではないかと感じる。
難しいのは、一見して同じ、あるいはとてもよく似ているのに、実際は違うケースではないだろうか。
似ているから「違い」が際立つ
以前どこかで、私達人間が古くから争いを繰り返してきたのは、文化的に似ている地域だった、という話を聞いたことがある。
たとえば、日本と韓国、中国には箸で食事する文化がある。
儒教や仏教など、共通する部分も多く、わかりあえる部分もある。
ところが、よく見ると違うことも多い。ひとつの行動をめぐる解釈もまったく異なる。
まったく違う文化圏なら、はじめから異なる存在として見ることができる。ある種の余裕を持って、客観的に眺めることもできるかもしれない。
一方、共通する部分があると、違和感が芽生えやすくなる。そして違和感が積もり積もると不信感へ、さらにそれが積もると憎しみに変わっていくこともある。という話だった。
これは同じ国の中、あるいは地域や家族単位でも起こっていることだ。
負の感情が生まれること自体は避けられない。目に見えないからこそやっかいなものだと思う。
しかし、だからといって放っておいてよいものでもない。小さな火種は、放っておくと、いつか大きな火になる。
「わかりあえる」という思い込み
そこで「話し合い」が必要だと言われている。話せばわかりあえるはずだ、と。
しかし悲しいことに、どんなに話しても、わかりあえない人もいる。私たちはその事実を認めることからはじめる必要があるだろう。
わかりあえる、と思うことは相手に対する期待だ。そして、期待を続ける限り、裏切られたと感じることも終わらない。
こうして考えてみると、私たちが先の大戦を教訓にして取り組むべきなのは、恐怖や悲しみを伝えることではないはずだ。
憎しみが生まれるメカニズムを知ること、憎しみが生じたときにどのように手放すか、その方法を身につけることなんじゃないだろうか。
それは、単純にマイナスの感情を表す行為を禁止する法律やルールを作ったり、あるいは同調圧力や同化政策で押さえつけたりすることでは解決しない。
「違う」ことを前提としたさまざまな制度設計、異なる意見を持つ人と合意形成するためのコミュニケーション技術、その技術を教える教育かもしれない。
「この世に送り出したのは、おまえたちを愛したかったからだ。恩を感じることはない。わたしが望むのは、おまえたちに愛され、尊敬されることだ。」一人ひとりがそう言える社会をつくること。
それが、教訓を活かすということなんじゃないか。
『世界でいちばん幸せな男: 101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方』は差別とはなにか、憎しみとはなにか、コミュニケーションとはなにかを考えるきっかけをくれた。
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