オールを手放すというのはどういうことですか
生き方について考える機会が増えた。
色々調べた結果もう行動するしかないからやっているんだけど、いまいち晴れない。
すっきりとした感覚で生きていくことはできないのだろうか。
頭のどこかでこれで大丈夫なのかなとか今何しているんだろうと考えてしまう。
嫌なことを避けて生きようとして、好きなことをして生きていく。
そもそもこの考えにしたところで、虚しさが消えるわけではないということ。
限られているというところに関しての解釈をどのようにすればいいのかわからない。
今の状況では、そもそも最初から何もなければいいのではないかという解釈にしかならない。
苦労を排除したいというタイプの人間にとって、理想を追いかけるのがめんどくさい。
もはや、めんどくさいという感情との戦いと言える。
生き方関連で調べていると、よく見つけるのだけれど「オールを手放す」という表現はどういったことなのか。
ここが面倒な事柄と「オールを手放す」という意味が関わっていると思う。
しかし、意味がわからない。どういったことですか。
人生を川の流れとして例えていることはわかるし、それに逆らわず流れゆくままにいればいいということなんだろうけども。
その先に果たしてたどり着くのですかということ。
未来に対して過剰な不安を持っているということはあるかもしれない。今やっていることが成功するのだろうか。幸せになることなのだろうか。
そんな疑問を抱えてしまうと、好きなことをやっていたとしても不安が頭にいるということになる。
しかしただ流れるように生きていてるといわゆる普通の生き方になってしまう。では理想の現実にしたいがために頑張る生き方はどうすんだよっていう。
この追い込み具合がわからない。求めてしまうことによって結局苦しくなるのであれば、最初から夢を夢で終わらした方が良かったのか。
というかそもそもなぜ生きているのか。
こういった思考が絡まりすぎて重い。
何もかも手放した先にある小さなワクワクの炎を燃やし続けて、果たしてそれは心の拠り所になるのだろうか。
その火を早く消してしまった方が楽な気がする。
生きることが面倒という思考の絡まりをどこかに捨てない限り、先へ進むことはできない。
しかし、進んだ先に結局何があるんだ。
小さなワクワクの炎がいつしか大きくなり、人を引き寄せるくらいにまでにしたい。
今は悪魔しか近寄ってこない。
今はこの悪魔とともに小さな炎を燃やし続けています。
もう引き返せない。やるしかない。
実現するまで追い込んでいく。
心が晴れるその時まで思考をやめない。
面倒だと吐き捨てて逃げることは簡単だ。
もうやるしかない。
なりたい理想を現実に落とし込む。
行動した人間にしかわからないものがある。
急に冷める。ただ穏やかに生きたい。
あぁやるしかない。
どんな人間でも必ず叶うと信じて。
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今日は思考が荒れまくっている。吐き出した何かが次の新しい何かになっていることを願う。循環させている。それだけです。
傍観者の戯論
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