俯瞰したところで現実的な回答がない
物事を俯瞰することで本質を見抜くみたいなやり方がある。
俯瞰するというのはつまり、抽象的に捉えるということであって他の物事との関連性を見やすくなる。
それを応用して、役立たせるようにしていくことが目的である。
しかし、抽象的にすることで逃げてしまうところがある。
それって結局なんなの?と突き詰めていくと、本当にこれやる意味あるのか疑問に思ってしまう。
行動しない理由を探すために抽象化にするようになってしまった。
行動するためには具体的なことが必要で、要するに絞り込んでいかなければエネルギーにはならない。
でも、その方向性が間違っていればその行動は別のところに連れていってしまう。
だから、その前に事前に下調べをするというところだ。
でも、その下調べをしているうちにそもそもなんでやっているんだという熱量の減少が起こってしまう。
やらなくていいや。やる意味がない。
色々頑張って考えたところで、結局やるしかないんだ。
どれだけ考えていたとしても、動いている人から変化が起きはじめる。歩き続けるしかない。
中途半端に知識をつけて、賢くなっている風なやつになっている。
意識高い系を目指したわけじゃない。自由に楽しく生きていく方法を探していくと自然とそのようなところにたどり着いた。
ただの頭でっかちになってしまった。
何をすればいいのかわからない。
抽象的な話は好きだし、やる気を上げてくれる。
ところが結局必要なのは具体的なやり方だ。
現実を変化させるには物理的なことが必要だから、目に見えるまでエネルギーを変えなければいけない。
ここにみんなが苦しんでいるといってもいいくらいだ。
最初からそこでみんな戦ってんだよっていう。
なのに何かがあると思って抽象的に物事を見てしまうんだよな。現実なんも変わんないじゃないかというところだよ。
捉え方を変えていって気分良くしていって、すでにそう思って振舞っていく。
そこ。振舞っていかなければいけない。
抽象的にしたところで、そのあと現実に落とし込むには具体的にしていかなければならない。
やるしかないんだ。
踊り続けろ。人が集まるその日まで。
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どれだけ逃げても、目の前のことをどうにかしないといけないんです。苦しいですよね。それも全て抱えながら生きていかねばならんのです。
傍観者の戯論
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