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プロ棋士とAIの勝負について前から疑問に思っていることとAI時代到来に人間はどう立ち向かうかみたいな問題について

まーこんなこと書いたらアホがバレるのかもしれないけど、疑問に思っているのだから問いを立ててみる。明確な回答ができる方がいたらぜひ教えてもらいたい。

私がずっと抱いている疑問

いつだったか、プロ棋士とAIがガチ勝負して、4対1でAIが勝利したことがあった。

それから、メディアでは「数年前からプロ棋士はAIに勝てないとわかっていた」とか「プロ棋士はもうAIには勝てない」とか言われている。

私にはこれが「人間はAIに勝てない時代が来た」と言っているように思う。

が、そもそもだ。

将棋はただデータベースをどれほど持っていれば勝ち、というだけのものではない。感情があって、どんな状況でも冷静さを失わず勝利できることがすごいのだと思うのだが。

とすると、感情がないAIは情報処理をどれほど早く正確にできるかが重要で、勝負するところが違うのでは?と思うのだ。

で、私の意見としては、プロ棋士とAIが勝負をするというのは、あくまでAIの情報処理能力を測ったり、向上させるためにやるのであって、むしろ勝つことは当然で、万が一負けるなんてことがあったら、そのAIは相当無能ということになる、のではないのか?

だって、ロボにはミスはないのでは?と思ってしまうから。人間は、技術もそうだが精神的な面でのミスというものがある。だけど、AIにはそれがないのではないかと思う。データベースの情報量と、計算処理能力。ロボが計算を間違えることがある?

逆に、4対1で人間はAIに1勝をあげたことに着目したい。

なぜ勝てたのか。

情報処理能力がAIを勝ったのか?

その人間はロボ以上の集中力を持ったのか?

それともだ。

人間の能力に”ロボが動揺をしてミスをした”というような動きをしたのだとしたら、これまた新発見である。

つまり私が言いたいことは

長くなったが私が言いたいことは、せっかく身のあることをやっていても、それにより得たい結果だったり着眼点がしょうもなかったら意味ないってこと。(明確な回答があればほしいのはこの点で、この考えが間違っているかどうか、いやあの勝負にはもっと他にも意味があって、みたいなことがあるならそれが知りたい)

メディアの中には「AIの登場でプロ棋士の存在不要、プロ棋士がAI時代で生き残るには〜」みたいな記事もあるが、全くそんな心配はなくて、私としては将棋だったり囲碁はただの計算処理合戦を見たいわけではない。

その勝負の最中で起こる、人間同士の感情の葛藤の勝負が見たいのだ。

これは、将棋以外でもそうだと思っている。AIが出来たところで人間の価値がなくなるわけではまったくない。価値が無いと諦めたら価値がなくなるだけだろう。

で、AIの進化はそれはそれでとても喜ばしくて、人間が編み出したことをどんどんAIにやってもらって、人間はさらに新しいことを考えれば良い。

と、思うのですがどうでしょうね。まーなんしか大丈夫って、楽しく生きてこーみたいなことを思ってたら問題ないって思います。ニンニン



日々ラーメンを食べることができたらそれだけで幸せです。