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子供に勉強の意味を問われたら


試されし、親の返答である。

先に断っておくと僕は独身なので、
子育てをしたことはない。(出オチ)

だが、「子供がいたら何をどう教えよう?」
という思考は意味もなくたまにする。

「なぁに独身が子育てに意見してんだ!」って
思った方は先にこちらから読んでみて欲しい。


さて、例えば子どもが

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

と尋ねてきたとき、親としてはその理由を説明しなければならない。これは試されているといっても良いし、「なんで勉強しなきゃいけないの?」に限らず、子供の素朴な数々の疑問に対して日頃から答えられるカウンターを装備しておくべきとも思う。

幼い頃、自分もわからないことを親に聞いたりしていたが、なんだかまともな答えが帰ってきた記憶が無い。それ以降親に聞いてもしょうがないなと、ある種の信用を失った記憶がある。

「細かいことはいいから勉強しなさい」
「勉強しないとダメな子になるから」

これじゃあ子供はきっと納得しない。
じゃあどうやってこの問いに答える?
(設定は小学生くらいにしておこう)

「あなたが頑張って勉強して、良い学校に入ったら社会に出る時にたくさんの選択肢があるのよ、選択肢は多い方が幸せになれる可能性は高いから、今勉強しておけば後々...」

いや、こういう形式張った長ったらしい説明はダメそうだ。途中で「ママ、もういい」と言われてしまいそうだし、じゃあこうしよう。

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

「そうだね。確かにそう思うよね。ちなみに、
今までわかんない問題があった時どうしてた?」

「教科書読み直したり、先生に聞いたりした」

「お、偉いな。わからない事を自分で調べたり、誰かに助けを求めたりすることが出来るようになったんだ」

「もっと大きくなって社会に出ると、たくさんの"わからないこと"があるんだ。大人になるともっと難しい"わからないこと"がたくさんある」

「それを自分で頑張って調べたり、誰かに聞いたりする力って、めっちゃ大切だと思わない?その力を鍛えてるって考えたら...」

「パパ...!確かに!勉強頑張るよ...!」

おっ!納得して前に進んだ!!

要するに、論理的思考力と問題解決能力をつけるためと言っているが、実はこれは学校じゃなくても良い。良いけど、学校で学んでおくのが今のところ一番効率が良いし無難である。

大人になって少しでもわからないことや、上手くいかないことがあったりするとすぐにムキー!となる人はいるわけだ。そういう人はもしかしたら「勉強」をしてなかったのかもしれない。

ともかく、やや恣意的な会話ではあったが、子供に対しては形式張った説明よりも、筋の通る論理を抽象化した表現で伝えると伝わりやすそうだ。

別のパターンもいってみよう。

「なんで勉強しなきゃいけないの?」

「そうだな〜。そうだ、そういえばシンジは大人になったら何になりたい?」

「え、まだわかんない」

「そうだよな〜、まだ何になりたいかとかわからないよな、でもだからこそ勉強はした方が良いんだ」

「???...どういうこと?」

「例えば、シンジが野球選手になる!ってことだけ考えてて、それに本気なら野球だけをやれば良いと思うんだ」

「でも、まだ何になりたいとかわからないなら、たくさんの何かに"なれるかもチケット"は持っておきたくない?」

「なれるかもチケット?なにそれ?」

「テレビ局で働きたくなるかもしれないし、お医者さんになりたくなるかもしれないし、モノを作りたくなったり、車掌さんになりたくなったりするかもしれない!」

「勉強をして、賢くなるとご褒美としてたくさんの"なれるかもチケット"が貰えるんだ。でも勉強しないと"なれるかもチケット"がすごーく少ない。どっちが良い?」

これはさっきの「良い学校に入ったら社会に出る時選択肢が多くて云々」の抽象化verである。

こっちの方が割と「勉強の意味」の幸福論的な答えとして適切な感じはある。「やりたいことがないなら勉強して選択肢増やしとけ」というのは定石だ。

「医者」と「スーパーの店員」どちらが幸せかと考えると、厳密にはわからないが何かと医者を目指すことの方が一般的には多い。あまり一生懸命スーパーの店員を目指している人は見かけない。

これは、医者を目指して医学部に入れるような人はスーパーの店員にもなれるからだ。逆にスーパーの店員を目指していたら医者になれちゃったってことはあまりないからである。


さて最後に、保護者向けの本質的な話をしよう。

義務教育では全ての学問、仕事の先駆けを学ぶ。

「因数分解はいらない」だの
「古文はいらない」とかよく言うが、
これからどの道を選択するか分からない子供たちに、「その入り口をちょっとずつ見せてあげる」のが義務教育だと思う。

ある子は数学に興味を持ち、科学者になるかもしれない。
ある子は文学に興味を持ち、物書きになるかもしれない。
ある子は経済に興味を持ち、銀行員になるかもしれない。

その全ての階段の一歩目を全員に踏ませる事で、「どの階段を登っていくか」選択肢を与えている。

使うとか使わないとかは、結果論でしか無い。

つまり全ての未来の選択肢に触れる事こそが教育の本質であり、子供が勉強をするべき理由。

子どもは多分純粋なので、突拍子もなく核心を突く質問をしてきたり、時に哲学的なことを聞いてくるかもしれない。

「なんで勉強しなきゃいけないの?」に限らず、
「なんで悪口を言っちゃいけないの?」
「なんで空は青いの?」
「なんでお金はただの紙なのに価値があるの?」

と、数多の疑問に答えられるカウンター教養を備えておこう。

「子供からの問い」という「親への期待」に、
しっかりと応えられる大人になりたいよね。


独身の妄想だけど。



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