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『白磁の人』にみる、朝鮮人が知らない朝鮮の美しさ
京都在住在日韓国人チョルチからのおすすめで『白磁の人』を読んでみた。1900年代前半に朝鮮総督府で働いていた浅川巧が李朝白磁という瀬戸物に惚れることで『白磁の人』だ。
わたしは在日韓国人だが残念ながら韓国という国がとても好きだ!というわけではない。好きなところも多いし、嫌いなところも多いのが実際だ。
その一方で、たとえば日本を愛したイギリス人の小泉八雲もしかり、自国民たちよちもよっぽどその国を愛する外国の人たちがいる。
「およそ巧さんほどに朝鮮人を愛し、朝鮮の風土と自然を好み、朝鮮を理解し、朝鮮民族に親しんだ人はおりません。これからもああいう人はいないでしょう。そして埋もれていた工芸品を新旧にかかわらず掘り出してくれたことはこの国にとって幸福でした。あの人は朝鮮人に溶け込んでいた半面で、一歩退いてこの国を客観的に見れる人でした。つまり、山に入って山そのものを極めると同時に、山の全景をみることのできた人です。私たち朝鮮人よりも朝鮮を知っている…私たちよりずっと朝鮮人でした」と言われる人だったらしい。
巧さんは日本人とか朝鮮人とかそういう基準をもたず、だれにでも柔和に接するコスモポリタンな人だった。浅川巧さんが人を惹きつけてやまないところはこの「白磁のような」心だった、という。
心の清さは国境を超える。はて、その清さはどうやって身につくのか。