"大人"が未来のためにできることってなんだろう
これは全ての大人に価値ある記事。
子育ても教育も組織も、全部これに尽きるよ、と思うような内容でした。
タイトルに"海外有名大進学が続出"なんて、キャッチーだけど心地悪い言葉が使われていますが、本論において全くここは重要でないと思います。読んでもらうには適切なフォーカスかもしれないですけどね。
インデックスをご紹介すると
日本人が英語を話せないのは「英語力」の問題ではない
先生や上司が「管理する」時代は終わった
大人の役割は、若者が自由に発想し、結果を出す環境を整えること
改革の道のりもまた、一人のパッションから始まる
なかなか興味を惹かれる言葉が並んでいます。
特に最初の話題は興味深いですね。察しのいい方はある程度見込みが立つと思いますが、象徴的な文を引用します。
海外大学の入学面接でよく聞かれるのは(具体例なので中略)
こうした質問に正解はなく、同じ人でも来年には答えが変わっているかもしれません。それでいいと思います。ここで問われているのは、今の自分の考えをしっかりと伝えることができるかどうか。それがすなわち、今のあなたという人間にしかできないことを示しているからです。
そして
(前略)日本の学校や会社ではこんな質問をされること自体がなく、考える機会もありません。
これは世界中の多くの国もそうですが、日本の学校教育のかたちは1000年前とあまり変わっていません。知識を持ったひと握りの人が教壇に立ち、知識がほしい大多数の人はそれを聞くだけというスタイルで行われています。
もうね、ほんとこれに尽きると思うんですよね。
考えを伝えるためには、考えを持たなければいけない。
考えを持つためには知識を収集することが大前提で、かつ、それが不足していても自分なりの仮説を持って考えとする習慣がなければならず、自分で考えるためのスキルも身につけなければならない。
多くの子供は、触れ合う大人の考えや価値観を吸収していきます。そして触れ合う大人とは、親・親族・教師くらいのものです。
かつて、就職活動中の学生達を多く見てきた経験がありまして、そこで顕著だったことがあります。
就職活動初期において、多くの学生が希望として口にする職業は「親の仕事」「教育関係」「現在の専門の延長」が多く、次いで「趣味」「人材関係」という形になっています。
自分の就く職業について考えることがいかに難しいかを示しているように感じました。触れ合ってきた大人たちから情報を吸収するのは自明なのですけど、それを受け入れてしまった方がよっぽど楽なのですよね。前述の通り、考えを持つには手間がかかります。
もちろん、これが悪いというワケではないです。しかし、その人に合った職業が既存のものとは限りませんし、親世代の常識が通用する時代でもないことを考慮すると、場合によっては危険かもしれないと思います。
仮にこれが問題だったとして、その根底には、
キャリア教育が浸透していないことや、そもそも親世代も"考えを持たない"教育を受けていること、画一的な基準で大量一括採用してきた企業文化などに原因があるのかもしれません。
noteにはいわゆる"子育て世代"の方がかなりの割合で存在しているように感じます。僕も同じ世代です。
キャリアのこと、経済のこと、価値観の持ち方、主張の仕方
僕たちが二周り三周り下の世代に伝えられることってなんなんだろうと、つい考えてしまうのです。
自分たちも教えてもらっていないことを、僕たちは自分で学んで、噛み砕いて伝えていかなければいけないわけですよね。
まぁもはや情報の民主化が進んでいるので、デジタルデバイスの使い方を教えてあげたほうがよっぽど効果的かもしれませんけど笑
知識も価値観も人それぞれですから、人様の人生に口出しするつもりなんて毛頭ありません。
が、僕は、自分の無知を謙虚に認めて、自分も学びながら伝えていける人になりたいなぁと。
そして、伝えることでまた教わりたいと、そう思うのでした。
なんてね。
特に素敵だと思った部分を引用して終わります。
今ではチャレンジして失敗するとすぐに叩かれるのが日本という国ですが、戦後復興から1970年代の日本はチャレンジの国だったと思います。松下幸之助はその典型かもしれません。若い人たちに対して「好きにやっていい。責任は全部ぼくたちおっちゃんがとるから」とやっていた。
この「ほなやってみなはれ」の精神が私は大好きです。
ギリシャ・ローマの哲学者もこう言っています。「年配の人がベラベラと喋っているのは痛い。逆に若いのに喋らないのも痛い」。若い人ができるだけ新しいチャレンジができる環境を作って、致命的なダメージが出そうな時にだけサポートするだけで十分です。
若い人たちがイキイキする社会でなければ、社会に活力が生まれませんし、イノベーションも起こりません。彼らには「限界」がまだありません。年配の世代が得意なのは経験から分かるリスクヘッジとサポート。それこそが「Pay Forward」ではないでしょうか。
もちろん、その結果失敗する若者も出てくるでしょうが、そもそもたくさん失敗をした人間のほうが変化に強い。だから、言い方を変えるなら、ぼくらの役割は、若者がギリギリ立ち直れる範囲で思い切り失敗できる環境を作ることだとも言えますね。
年齢で何かを規定するのは好みではありませんが、制限は無くとも役割があると思うのです。
若いからこれがダメとか、歳取ったからこういうことはできないとか、世の中にそんなもんはありません。そんなこと言う奴はだいたいアレです。
もちろん、判断能力というものは経験とともに育つもので、こればかりは仕方ないところがあります。身体機能も加齢とともに衰えるので、これも仕方ない。何から何まで年齢に関係なくできるなんて、そんな極端なこと言ってません。
役割を踏まえて、自分の人生を前に進めつつ、お互いに補い合える環境を作っていきたいな、と。せめて自分の身の回りくらい、という気持ちです。
思わず真面目一辺倒な文章になるほど、いい記事でした。
賢明な方は、ぜひ読んでみてください。きっと得られるものがあります。
なんてね。
ということで、お付き合いいただきありがとうございました。
お相手は わたくし
納木 まもる でした。
次回も楽しんでもらえますように。
<編集後記>
何かくだらないことを言って中和したくなるくらい真面目に書いてしまいました。まぁ僕も偉そうなこと言えるほど立派な人間じゃございません笑
でも、生まれてきたからには、少しでも素敵な世界になる手伝いができたらいいな、と思っています。ほんの少しでも、その実現に向けて生きようと。
いや、中和どころか加速させとるわw
おっぱい。じゃなかった、おしまい。
読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。