教育について全員が本気出して考える時代がきたかな?ーパンデミックが変えた教育ー
EducationとTechnologyをかけ合わせたEdTech(エドテック・エデュテック)という言葉もすでにエッジィな感覚を失って久しい昨今。
まさかウィルスのパンデミックによって改めて注目せざるを得なくなるとは思いませんでしたね。
オンライン授業も一種のEdTech。
新しい価値観への適応は苦痛を伴いますね。この投稿をご覧の皆様のなかにも、渦中にいらっしゃる方がきっと。
今日はTechCrunchの特集「勃興するEdTech」から。
特集と同じタイトルの記事、表題曲とでも言える記事ですね。
アメリカでのテクノロジー活用事例が記載されているほか、適応に苦難するご家族の姿も描かれています。
そんな中で目に留まったのはこちら。
子供たちが自宅にいることで、ローマン一家はアメリカを覆う人種差別に起因する暴力や警察による強権の行使について話し合う機会が得られている。(中略) 各家庭に応じて、奴隷制度に関する教育が欠如していることは、アメリカでの差別制度に関する難しい話し合いを始めさせたり、学校が再開された際の議題として置かれたりしている。
家庭における教育の重要性が上がっている、と読み取ったのは少しバイアスがかかっているかもしれないけれど、両親がテレワークで家にいる時間が増え、子供たちがオンライン教育を受けるようになれば、必然的に家族の時間が増える。
大人も学習を続けなければいけない時代だと、誰もが気付いたんじゃないでしょうか。気付いていてほしいな。
この辺には悲しいジレンマがあると思ってて、学び続ける人はこういう情報をキチンと取得するんですよね、変化も察知する。
そうでない人はここに辿り着きもしない。半ば必然的に格差が広がっていくんですけど、根本の原因は個々人ではなく社会の仕組みなんですよね、難しいことです。
はっ、いけないいけない、また悲しみを背負うところだった。。。
話を戻すと、この特集ページには興味深い記事が多いです。
日本でも話題になった、デジタル格差の話とか。デバイスやネットワーク環境における格差。さっき背負いそうになった悲しみもこの辺にありますね。
少し古い記事からは、STEM分野(科学・テクノロジー・工学・数学)と女性との間にある見えにくい問題。
STEM分野に女性が少ないという事実についての考察記事です。
ちょっとセンシティブで語りにくい部分もある内容ですが、社会的不平等の積み重ねが招いている部分が大きいのは間違いないですね。逆に感じるタイトルの以下の記事も、辿り着くのは同じところです。
「男性脳・女性脳」みたいな話はまぁ血液型占いみたいなもので、科学的に厳密に分かっていることはあまり多くないんですが、上の記事によれば言語認知優位な女性が多いことから、得意(だと感じる)ことを専門に選ぶ結果、STEM領域を選ばなくなると考察しています。
なんかこれ、評価基準がテストの点数から変わったらパラダイムシフトが起きるような気がするんですけど、違うかな。。
それから、幼児教育とデジタルデバイスの可能性の話。
デジタルはアナログを置き換えるものではなく、新しい可能性を切り拓くものであるということは常に意識していたいですね。
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さて、トピックが多くなってしまいましたが、つまり、言いたいことは
一緒に楽しいこと学びましょう、めんどくさいこと考えましょう、ってことです笑
ボーッと生きてるとチコちゃんに叱られちゃいますからね。
なんてね。
ということで、お付き合いいただきありがとうございました。
お相手は わたくし
納木 まもる でした。
次回も楽しんでもらえますように。
<編集後記>
大人になるって怖いことですよね、大したこと教えてもらえなくなりますからね、自分で学ばないと。。。
なお、集団に対して教育プロセスを最適化しようとすると、どうしても最大公約数的になってしまうので、公教育が行き届かないことは致し方ないことだと思っています。
公教育だけでは半端であることを前提に、補うような教育プログラムを取捨選択していけるようにならないといけないですよね、なかなか大変です。
ただ、今回の情勢でEdTechが多少市民権に近づいたというのは非常に興味深いです。ハイプ・サイクルでいう、幻滅期から抜け出る瞬間を見たような、そんな気分です。ワクワク!
読んでいただいてありがとうございます。貴重な時間をいただいていることは自覚しつつ、窮屈にならない程度にやっていきます。