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ワタシはワタシを恐れている
「エス」は「無意識」のことではありません。
「エス」とはドイツ語の「それ」のことです。
S・フロイトのいちばん斬新だった発想は
「私」の中には「私」の他に少なくとも「エス」が居る
としたところです。ただ「エス」は活動の多くを「無意識の領域」でやろうとするから、「私」には「私のことでありながら意識できない」といった事態を引き起こすわけです。
「私」は一般に「エス」のふるまいの多くを不安に思っています。
防衛という言葉を、精神分析では特殊な使い方をします。普通、防衛というのは外界に対して自分の身を守ることを言うけれども、精神分析で言う防衛機能というのは、自分の内面に向かって働いている、内面で自分を安定させておくために働いている機能を言っています。
言うなれば私たちは「エス」の活動に直面したくないのです。中でも「エス」の暴走や暴発を恐れています。
というふうに精神分析では考えます。たとえば人に批判されたり、バカだと思われたり、ものすごく時間がかかることを嫌うのは、そうしたものを「エス」が感知するとエスが活性化しすぎてしまって、その爆発を「私」が抑えにかからなければならないからです。
エスに完全に主導権を渡してしまうと、批判した相手に1万回の批判を投げ返したり、バカだと思われたから仕事は辞職するしかないと決意したり、ものすごく時間のかかる仕事に数日間、お金にならなくても没頭したりしかねないからです。
そう考えると「私」が「エス」も動きをモニタリングして「防衛」するのも当然のように思えます。
ただこの「防衛機能」というのはかなりエネルギーが必要です。「精神を消耗する」とか「気持ちがすり減る」といった表現は、おそらくすべて「自我がエスから防衛した結果」なのです。