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不安の恐怖

仰仰しいお題目だが、日常の不安の成れの果て、人様から見たらどうでも良い事ということになる。

私は、週に一度、体を動かすときに、コンタクトレンズを使っている。左目は問題ないが、どうも右目は良くない。
理由は分からないが、よくズレてしまう。しかもズレた事を知らず、取ろうとしては眼球を掴むとこがしばしばある。

先日も、また右目のコンタクトが無いのである。よーく瞼を広げて、眼球を極限まで上下左右、回転したり、鏡の前で口まで尖らせて、顔を擦り付けては、どこかに無いかと悪戦苦闘。

しかし見つからない、当然見ようとすると眼球が真ん中に来てしまい、瞼の奥に入ったであろうレンズを隠してしまうからである。

仕方ない、そういう事もありうる。諦めて寝ることにする。それで朝、目ヤニと一緒に、目頭に飛びでてきた事もあったから。まあ、不安だが心配はない。

翌朝を、迎えた。しかしだ、コンタクトレンズは出てこない。でも、どことなく違和感はある。目の、外側が、ゴロゴロするような気がする。

またしても鏡の前で、瞼を広げる。しかしやはり無い。仕方なく仕事に向かう。

職場でも、事あるごとに目のチックを怠らない。
結局そのまま帰宅。寝る前にまた、確認。

仕方なく寝る。起きる。今度は、目頭の奥の方に違和感。確認する。無い。仕事行く。仕事中確認。
帰宅。風呂に入りながら、目を水に浸けたり、シャワーを当てたり。だが成果なし。寝る。

翌日休日だったので、眼科へ、行った。

受付で、症状告げて、待つ。
看護師さんが、先生の診察の前に症状の確認などを事前にしてくれる。光を当てたり、風をてたりする。

「う〜、無いみたいだね、先生に、確認してもらいましょう」

少し、待って診察に呼ばれる。

「はい、確認してみましょう!眼球、上、下、右、左、右、右上から下にそのまま回して。これ試薬ね、これつけると、より分かりやすいから、はい上、下…結膜炎です。無いね。結膜炎なので目薬出しときます。お大事に!」

という事で、目薬を処方してくれまた。
あれだけ確認してくれたんだから、無いのだろう。
諦めよう。信じてみよう。

さっそく目薬を差してみた。違和感はどんどん無くなっていく。夕方には、もう目薬を差しすことすら忘れるほどに、違和感は無い。

なんだったのだろうか、あの不安は?
コンタクトが取れなくなって大変なことになったテレビ番組を思い出したり、youtubeで最近ハマっている怖い話しなどから、何か良からぬ何かの悪戯なのではと、不安が恐怖へと変わりつつあったから。

不安や恐怖が、結膜炎という病気として確定され、それに薬を処方することで、不安や恐怖が無くなる。医学ってのは科学的お祓いみたい。

そうそう、ちょうどその日の夕方、youtubeを見ていたらおすすめ動画に「自分の生霊を、浄化する真言」なんてのが出てきて、目薬差しながらありがたく拝聴した。自分の念が、自分を縛り苦しめるという事のようだ。

目が変なんだと言って何十回も鏡の前で目をいじくりまわす私は、まさにそれだったと思う。

傷口のカサブタをメクっては、傷がなかなか治らないと、言ってるのと同じ事をしている。

不安はできるだけ、病気や化学、物理の現象に確定させて、対処する。確定できない不安は、恐怖へと変化しやすいので、人に相談したり、祈ったり、自分の体を大切にする事が重要だと感じた。

それにしても右目のコンタクトは、どこにいったのだろうか?まあ、そのおかげで、本当にちょっとした些細な真理を右目で見たように感じる。

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