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近江から東京まで歩く四日目 四日市〜弥富〜熱田 24/10/05

四日市のホテルからは、四日市の街並みと、長々と続く鈴鹿山脈が見えた。今日は、そこからの出発であった。今日もまたホテルの朝食バイキングを腹十二分目ぐらいまで食べて、準備万端にしてから出発した。すると、外には秋風が吹き抜けていた。今日は、いける。吉日の予感を胸にして、北上を始めた。今日はいよいよ熱田まで行くという予定であった。熱田までの道には選択肢があって、それは国道一号線と国道二三号線の何れかという選択肢であった。とは言え、昨日までの道程で大型トラックの生存を脅かすような音は何度も聞き、もうそういう音を聞きたくなかったので、大型トラックで溢れているであろう湾岸の二三号線経由は止めて、比較的穏やかで色々な店もあるであろう一号線経由で向かう事にした。

昨日までの道とは違い、四日市駅からどんどん離れてゆくにも関わらず民家も商業施設も絶えない。マクドナルドは何件もあるし、牛丼屋だって何件もある。更には、ラーメン屋に至っては明らかに数が過剰である。そういう賑やかな一号線をどんどん北上してゆくと、あっという間に桑名駅に着いた。桑名という街もまた、死んでいる街ではない。駅前には何件も居酒屋があったし、なんと、ビルには巨大な電子公告パネルまで設置されていた。バス停から出てゆく長島温泉行のバスは満員であった。とは言え、今日は桑名に着いて安心をしては不味いので、どんどん先へ進んだ。桑名駅から出て間もなく、揖斐川・長良川を航る大橋に差し掛かった。そして勿論直に木曽川を渡る大橋にも差し掛かった。いよいよ、濃尾平野へ入る。私は歩いてここまで来たのである。

私はとある事情があって、濃尾平野、特に名古屋市にはかなり縁が深い人間である。故に、濃尾平野の特徴もそれなりに知っている。そういう私が感じたのは、木曽川を渡り弥富市に入った途端、道路の風景が如何にも濃尾平野的な、私にとって馴染みのある風景になったという点である。これは、上手く表現が出来ない。山の見えない広々とした空間が、私にその感覚を与えるのだろうか。ただ単に、進む方角が北から東へ変わったが云えの、錯覚だろうか。何れにせよ、木曽川を渡った後は、私は気持ちが新たになった。今日も、歩く。目指すは熱田の神宮前。実を言うと今日の行程はかなり無理があって、昨日までの三日間と比較をしてもかなり長い距離を歩く予定になっていたのであるが、少しずつでも進んでいるという実感が、私を奮い立たせた。

弥富や蟹江の間は、確かに商業施設は多けれども、一方で単調な道が続いた。それから一気に光景が変わったのは、名古屋市に入った時からである。明らかに違うのは道の幅である。名古屋に入ってからは片側一車線の一号線が急に三車線になり、また、私にとっては馴染みのある、あの白地に青の線が入った名古屋市営バスも走っていて、昨日とはまた次元の違う「都会」の二文字を思い浮かべた。道中の橋を亙っている途中、名古屋駅前の高層ビルが彼方に見えたりもした。一歩一歩進んでゆく毎に、どんどん往来が賑やかになっていった。私は何だかんだで都会馴染みな人間なのかもしれない。その安心感を推進力に変えて、日が沈みつつある名古屋の街をどんどん東へ進んだ。

結局、当初の予定通り日没後しばらくしてから熱田へ到着した。前述の通り今日の行程「四日市〜桑名〜弥富〜蟹江〜熱田」というものは、それなりに距離が長かった。なので、父親も私も足の疲れがかなり溜まってしまった。明日からもまだまだ歩くという事を考えるとこの距離が限界であるし、そして、言うまでもないが、今夜の休み方が問われるのである。現在私は熱田のホテルの湯船に浸かりながらこの日記を書いている。早く寝る事も大切であるが、湯船のお湯で足の筋肉をほぐすという作業も肝要である。また、コインランドリーで洗濯もせねばならない。この旅の出発前に予定していたよりも、案外ホテルでの時間が慌ただしいのである。そして、慌ただしい諸々の用事を済ませた後、急に電源を落としたようにバタンと寝る。少なくとも先の三日はそうであった。今夜も、そうだろう。しかし如何せん、足がかなり痛くなってしまった。今夜は湿布を貼って寝ようと思う。マッサージを怠らないのも当然である。

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