仏教徒、日曜礼拝に行く
プロテスタントの教会の日曜礼拝に参加した。私は仏教徒である。仏教徒であるけれども、仲間の桑原さんが毎週通っている教会の日曜礼拝に誘ってくれた。異教徒が神聖な祈りの場に参加をしても良いものか、実を言うとそれなりに迷ったが、どうやらこの教会は神を信じる人も、信じていない人も、多様な人が礼拝に参加している様で、僕の様な存在は然程場違いではないらしい。そして参加し終わって思ったが、やはりあまり場違いでは無かった。
私にとって、私の出身の界隈は「元ひきこもりの当事者会」だと思っている。つまり私のホームは「元ひきこもりの当事者会」である。それ故に、ひきこもりのヒの字も関係の無い、かつ信仰まで違う桑原さん達との交流は、毎度々々新しい世界を知る事が出来る。まさに異文化交流であって、私の人生に新しい風を吹き込んでくれる。しかし仮にもし、桑原さんが私の様な異文化の人間に対して辛辣な人物であれば、私は誘われてもこうやって遊びには行っていない。だが実際はそうではなくて、私は桑原さんから仲間だと思われている実感を持てている。遊びに行って嫌な思いをする事は無くて、これは少し大袈裟な表現かもしれないが、寧ろ毎度々々また次はどの様な世界を見せてくれるのか楽しみになる。
有り難い縁を感じるし、今日に関しては何よりも神にも感謝をしなくてはならない。神への祈りがきっかけで、今日は多くの人と交流をする事が出来た。神が、私を多くの縁へ導いてくれたのだろう。神を重んじているのか、仏法的な「縁」を重んじているのか、よくわからない文章だが、これが今の私の頭の中の形容である。リュックサックには、中村元先生の著書「原始仏典」と、教会で貰った「新約聖書」が入っている。この多文化性を私は大切にしたい。
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