低空飛行を維持する 24/11/12
時折、何かを掴んでしまいそうになる。どっしりと腰を落ち着けてしまいそうになる。しかし、これまでそうして何度退転してきた事であろうか。あの冬に見たあの光景はまるで浄土であった。けれどもその心の持ち様は長続きはしなかったのである。何かを掴むのではなくて、延々と流れていたいと思う。そして、流れている事にすら不安を覚えたいと思う。朝起きてカーテンを開けたら、まずは絶望浸りたいと思う。勿論今日もそう在りたくて、なるべく高揚しないように、目を輝かせないように、なるべく低空飛行で過ごせるようにと気分を調整しつつの一日であった。起床時に無理に布団から出ようとはしなかったし、ホットコーヒーを作ろうとする時も心做しか手足の速度を落としていたように思う。
午前中はただゴロゴロしていても寧ろ気分が高揚してしまいそうであった。そこで、少し気分を変えて、朝風呂に入って読書をしてはどうかと思った。大相撲中継の関係で夕方に風呂に入れないので、尚更妙案だと思った。早速その計画を実行に移した。10時頃から13時頃という気温が上がる時間帯であったが、風呂場の窓からはひんやりと冷たい風が吹いてきた。室内に居ながら、どこか遠くを旅しているようであった。読んでいた本は「死の家の記録」である。ドストエフスキーの本はどうも秋や冬に読みたくなる。そうこうしていると、何やら今度は眠気がしてきた。なので風呂場を後にして、遅目の昼食を済ませ、ちょっとした予定を終えた後に、大相撲中継の時間まで昼寝をした。眠れるかどうか不安であったが、案外ぐっすりと眠った。結局、今日は程々に絶望に浸りながら、気分をあまり高揚させないで過ごせたと思う。夜にプロ野球中継が無いのが寂しい。