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母親と紅葉を見に行く 24/11/18

今日は母親ととあるお寺へ紅葉を見に出掛けていた。母親とは毎年、こうしてお寺や神社へ紅葉を見に行くのが恒例になっている。今日という日が素晴らしかった理由の一つはまず、この気温にあるだろうと思う。朝に玄関を開けた時から既に昨日とは全く違った透き通った空気が流れていたし、更に、時間が進めば進む程どんどん気温が下がるという、珍しい天気の移り変わりの日でもあった。母親とは毎年こうして、寒さを語りながら紅葉を楽しむのが常なのである。今年もまた、というこの既視感が、現在のこの平和を象徴しているようであった。晴れたり曇ったりする冬の空の下で、照らされたり照らされなかったりする紅葉を眺めるという時間を、今年も過ごせてよかったと思う。毎年毎年、この時間になると、辛い一年を振り返る。振り返って、少しだけ深呼吸をするのである。

ふと思ったが、どうやら私は日々の何気ない時間には、常に何かしら気を張っているらしい。今日のこの外出中には妙な落ち着きがあった。久しく感じていない落ち着きであった。自室や近所の街中へ居ては決して感じられない落ち着きであった。単なる非日常であればそれなりに存在するが、今日はそのような非日常とはまた少し違った。やはり、明るさがあって初めて、暗さが分かるのだと思う。今だからこそ敢えて書いておくが、私は、日々、辛いのである。耐えて凌いで生きているという事を改めて思ったし、そんな中で頑張っている自身を振り返って、その生き方で良いのだろうかと、振り返らざるを得なくなった。けれども、私はきっと、日常に戻るのだと思う。何度も見た光景を、これからも見続けるのだと思う。そう思うと何やらどんより沈みたくなるが、とは言え、今日は一方で満足感もあって、今夜ぐらいは穏やかに眠っても良いような気がする。

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