"依存"と"親密感への恐れ"は愛という技術で克服するしかないという話
愛するということは技術なんだなとつくづく思う。
どんなに頭で上手くやろうと考えてみても、感情がある限り人間関係において事故るし、
時々脱走したり、音信不通になったり、体調不良になったり、メンタルブレイクしたり、親密感への恐れから急によそよそしくなったりする自分がいる。
傷付きやトラウマは誰にだってある。
深さや痛みの強さ、感じやすさは本人の感覚でしかないので、その人本人が抱きしめて生きていくしかない。
特に機能不全家庭で育ったりした人は、愛するという技術を学べずにきた。
だから、社会に出た時に盛大にクラッシュする。
愛という技術は手取り足取り教えてくれる人は誰もいない。
むしろ、それを学ぶために生まれてきたのかもしれないという気持ちさえある。
周囲にいる人たちはなぜかその技術を知っていて、
世界に自分が取り残されたように感じるかもしれない。
わたしも過去何度も失敗した。
残念なお知らせになるが、継続的に親密感への恐れがあるようであればそれを断ち切る努力はまず自分から始めないといけない。
誰か絶対に裏切らない人間が現れて、自分を生涯愛してくれるかも?
自分の居場所を探し続けていたら、どこかに見つかるかもしれない?
そういう期待と僅かな希望を抱きながら、身を切るような痛みとともに騙し騙しこの現実を生きている人にとってこれは厳しい真実かもしれない。
最近やっと私はこの真実に真正面から向き合えるようになった。
本当に少しずつだけど。
一歩進んでは二歩下がる。その繰り返し。
でもこれだけは言えるのは
絶対にその希望は捨てないで。
一番下まで落ちきったら、あとは上がるしかない。
そう思えるまで、一度徹底的に落ちてから這い上がってみるのもひとつの手だと思う。
だって、底まで落ちきってしまったら
あとはもう下がないんだもの。笑
むしろもう上がる以外の選択肢がない。笑
それは、これ以上下がるというような退路が既に絶たれたようなもの。
そう考えてみたらすこし気持ちが楽じゃない?
一回落ち切るというのを経験してみると分かります。笑
そうやって一回落ち切ってみて、がむしゃらに這い上がってみて、そこでまた失敗して
そしたら人の暖かさ、優しさが涙が出るほど分かるようになります。
人に対する感謝の気持ちや、世界に対する愛が溢れて止まらなくなります。
人って優しいんだな、って思えるようになります。
どうかその日まで自分に負けないで。
そうやって自然に自分の内側から湧き上がってくるものが「愛」だと思います。