見出し画像

【掌編】私のお父さんは名人です。

公募ガイド第35回「小説でもどうぞ」【名人】に投稿し、落選しました。供養。

「望奈、今日の参観日で作文を読んだのよ」
 傑作だったと笑う妻に微笑みかけ、温かいお茶を二人分淹れる。当の娘は今日の参観日できっと張り切りすぎたのだろう。僕が帰宅するまでに寝入ってしまったらしい。ちらりと望奈の寝室につながるドアに目をやるとその眼差しがよほど寂しそうに見えたのだろうか、妻はクスリと笑みをこぼした。
「そんなによかったのなら、僕も聞きたかったな」
「ええ。あなたにこそ聞いてほしかった」
 妻の口ぶりからすると、おそらく僕のことを書いたのだろう。それはますます聞いてみたかった。むうと眉根を寄せた僕を見て妻は声を上げて笑った。
「一体どういうテーマだったんだい?」
「お父さんのお仕事について」
「仕事……望奈は僕の仕事のことって」
「そうよ。なーんにも分かってないわ」
 それはそれで自慢げに言うことではないと思うが。まあまだ小学一年生の望奈には少し難しいだろうから仕方ない。一般的な父親のイメージのようにスーツを着て会社に行っているわけではないのだから。
「まあ、一口にサラリーマンと言っても色々あるし。どこの子も本当にお父さんの仕事のことなんて分かってなかったわよ」
「それもそうだね。で、望奈はなんて発表したの」
「『お父さんは名人です』って」
「え、それって」
 名人、とは。詳しく聞こうと身を乗り出した瞬間、カチャリとドアが開く音がした。二人で音がした方を見ると、望奈が目をこすりながら立っていた。
「んー、おとうさん、おかえりなさい」
「ただいま。起こしちゃったかな?」
「ううん。トイレ行こうとしたらおとうさんの声がしたから」
「わざわざこっちに来てくれたのか。ありがとう」
「えへへ。どういたしまして」
 得意げに笑う娘に知らず知らずのうちに口元が緩む。可愛くて親思いの子に育ってくれている。幸福とはこういうことを言うのだろう。そんなことを考えていたら、妻が「ああ」と声を出した。
「お父さんに今日の作文読んであげれば?」
「確かに。なんのお話ししたのか聞きたいな」
 妻の提案に乗ると、ねぼけまなこの望奈はぼんやりと視線を宙に彷徨わせた。これはちょっと難しいかもしれない。しかし望奈は僕達の言葉を理解するうちに目が覚めたらしい。ややはっきりした声で「やだ」と言った。
「嫌なの?」
「うん。言わなーい。お母さんに聞いて」
「えー。なんで。いい発表だったわよ。教えてあげてよ」
 褒められて悪い気はしていないのだろうが、若干恥ずかしさが勝つらしい。まあ教室でそういう空気の中発表するのと両親だけの前で読むのとでは確かに勝手が違うだろう。寂しいけど無理強いするのも可哀想だし仕方ないか。
「分かった。お母さんに聞いとくね。ほら、トイレ行くんだったんだろ?」
「そうだった。おやすみー」
「おやすみ。……あ、ちょっとだけ待って」
 ふらふらとリビングを出て行こうとした娘を呼び止める。そして仕事用のカバンから真新しいノートを出した。最近娘がよく見ているアニメが表紙に描かれた学習帳だ。もちろん僕が使うわけではない。望奈は不思議そうに小首を傾げたが、すぐに思い当たったようで声を上げた。
「あ、それ」
「そう。国語用のノート、そろそろなくなるところだろう?」
「うん! ありがとう!」
「よかったわね。……まあ、ちゃんと使い切る前に教えてくれるとありがたいんだけどねえ」
「その点については僕も君もあんまり人のこと言えないからなあ」
「えー、何よそれ」
「だって、これ切らしてたでしょ」
「あ」
 苦笑しつつ新品のサランラップを取り出すと、妻はあからさまに「しまった!」という表情を浮かべた。その様子が面白くてついクスリと声を漏らしてしまう。
「今朝、台所で大きな声出してたからきっとこれだと思って」
「そして私が買い忘れるところまで読んでいると……」
「当たってる?」
「ばっちりよ」
 妻はかわいらしくウインクをしたと思ったら、突然クスクスと笑い始めた。なぜか望奈も同じように笑っている。どうしたのかと首を傾げていると、笑いすぎて滲んだ涙を拭いながら妻が理由を教えてくれる。
「さすが。やっぱりあなたは『名人』ね」
「ほら、言ったでしょー?」
「名人?」
 そういえば望奈は作文で僕のことをそう評したのだった。しかし一体何の名人だというのだろうか。疑問符で頭が埋め尽くされる。目を白黒させている僕へ望奈が屈託のない笑みを向けた。
「お父さんは人の心を読む名人です、って書いたの!」
「……そんな読心術を心得ていた覚えはないんだけどなあ」
「どくしんじゅつ?」
「もう。そんな難しいものじゃないわよ。あなたが人のことをよく見てるって話」
 望奈と妻は顔を見合わせて「ねー」と二人で何かを納得しているようだった。まあ二人の中で共通の認識があるのならいいや。それにしても。
「名人、とは上手いこと言うね」
 今日の対局結果を思い浮かべながらそう零す。そう、二人に対してだけでなく、世間的にも僕は確かに名人なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?