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【掌編】ニセモノの家族

エブリスタ超妄想コンテスト「ニセモノ」落選作品

 母は私によくこう言った。
「基子は橋の下で拾ったのよ」
 こういう冗談はきっとうちだけではなく、他の家でも言われているのだろう。学校で愚痴をこぼした時には友人たちも「あるある」なんて言っていた。しかしあまりに何度も言われれば、本当にそうなのかもと思ってしまうのだ。だって、弟に比べたら私は両親に全然似ていない。
「ママと修って本当に似てるよね」
「そう?」
「うん……目元とかそっくり」
「まあ私と基子は全然似てないもんね」
 母はケラケラと笑うと弟の頭を撫でた。その横顔は慈愛に満ち溢れていて、本当に修のことを可愛がっているのがよく分かる。……私相手の時とは大違いだ。私が覚えている中で一番古い記憶では、母は駆け寄った私を突き飛ばしていた。
「ああ、でもここはそっくりかも」
 母の指が修の髪をクルクルと弄ぶ。修の真っ黒でまっすぐに伸びた髪は確かに母のそれにそっくりだ。対して私は。自分の髪を一束指で挟んで顔の前に持ってくる。重力に逆らうように勝手にうねる髪は母のとも修のとも全然違う。父親の髪の毛もまっすぐなのに、どうして私だけ全然違うのだろう。私だけがこの家族の誰にも似ていない。
「そうだ。明日修の検診だから朝は一人でちゃんと支度するのよ」
「分かってるって」
「本当に? ちゃんと起きれるの? そんなとこばっかりお父さんに似てるからなあ」
「分かってる!」
 口うるさい母には辟易するが、それでも父に似ていると言われて少しだけ安堵した自分もいる。でもこれって別に身体的特徴じゃない。ただ怠惰なだけだ。
 次の日、目が覚めるともう母はいなかった。前もって言われたように一人で朝食を食べて支度をし、学校へ向かう。母から言われてはいなかったが食器もちゃんと洗っておいた。今日はきっと褒めてもらえる。ちゃんと私の方を見てくれるはずだ。そんな期待を胸に一日を過ごした。
「ただいま」
「おかえりー。ちゃんと学校行けた?」
「行ったよ。先生からなんにも連絡なかったでしょ」
「お母さんは病院に行ってたのよ。スマホの電源切ってたから分からないじゃない」
「そんなの知らないよ」
 一人でちゃんと学校に行けたのも皿を洗っておいたのもきっと褒められる。そう思っていたのに母からは小言ばかりが飛んできた。せっかく期待で膨らんでいた胸もすっかりしぼんでしまった。苛立ちからランドセルをソファに投げつけると「こら。危ないでしょ!」とまた小言が飛んできた。危ないから何よ。私の気持ちなんてなんにも分からないくせに。ツンとそっぽを向くと母は大袈裟なため息を吐いた。
「全く。誰に似たんだか」
 うるさい。そんなの私が一番知りたい。私に似ている両親はどこにいるの。あんたたちは一体誰なの。
「まあ橋の下で拾ったから仕方ないかぁ」
 ああ、またいつものソレ。いつもなら聞き流せるけど、今日はどうしても心に刺さって取れない。滲む涙に気づかないふりをしてランドセルを乱暴に拾い自室へ向かう。母はまだ何か文句を言っていたが、それはどうしても耳に入ってこなかった。ただただ怒りと悲しみで頭がガンガンと痛む。ちらりと目をやったシンクには褒められるだろうとワクワクしながら洗った食器が寂しく置きっぱなしになっていた。
 自室の扉を閉めるなり、扉を背にしてずるずると座り込んだ。どうにか部屋に入るまでは我慢した涙が次から次へと溢れてきた。それを袖で乱暴に拭いながら枕に顔をうずめる。汚いとは思うものの、泣き声を押し殺す方法が今はこれしか思いつかなかった。
「基子、ご飯よ」
 母の声にむくりと起き上がる。どうやら泣いている間に眠ってしまったらしい。おざなりに返事をして洗面台へ向かう。鏡に写った顔はひどいものだった。目元も鼻も真っ赤で、枕に押し付けていた前髪はいつもよりも激しくうねっている。大きなため息を吐いてとりあえず少しでも誤魔化すべく冷たい水で顔を洗う。まあどうせ母はきっと私の様子になんて気づきやしない。ご飯の最中は好き勝手に動くようになった修にかかりきりなのだから。
「遅かったじゃない。ほら、ご飯運んで」
「はーい」
 のろのろとリビングに入ると母はテキパキと夕飯の準備をしながら私に声をかけた。想像していた通り私の様子がおかしいことには気づかない。一瞬安堵したものの、次第にむくむくと怒りが膨らんでくる。しかし全てをため息で誤魔化して母に言われた通り出来上がった夕飯を食卓に運んだ。食卓には既に父が座っており、修の口に離乳食を運んでいた。
「遅かったな。宿題は全部終わったのか?」
「あー、うん」
「なんだその返事は。どうせ漫画でも読んでいたんだろ。お母さんは修の世話で忙しいんだから少しくらい家の手伝いもしなさい」
「分かってるよ。ちゃんと食器洗ったりもしたし!」
「こら。大きな声を出さない。修がびっくりするだろ」
「ああ。朝の食器ちゃんと洗ってくれたのね」
 私の様子に全く気付かない父のあまりの言い分に声を荒げる。そして自分から言うつもりはなかったのについ今朝の自分の功績についてもぽろりと口にしてしまった。「ああ」と声を上げた母に諦めたはずだったにも関わらずまた「褒めてもらえるのではないか」と期待を抱いてしまう。しかしそんな希望はすぐに打ち砕かれた。
「いつもそうしてくれればいいのにねえ」
「たまにやったからって自慢っぽく言っちゃだめだぞ。継続してこそなんだからな」
「……もういいよ」
 きっと私が何を言っても無駄なのだろう。力なく食器を置いてもう一度台所へ向かう。全部運んだところで私は今ご飯を食べられる気が全くしない。でも食欲がないなんて言えばまた「我儘を言うな」と叱られるのだ。食事を用意してもらえるだけ恵まれていると思い込むしかない。だって私は橋の下で拾われた子なんだから。
「ごちそうさまでした。じゃあ食器洗ったりもしてくれるみたいだし、後片付けの手伝いもお願いね」
「……言い方が嫌味っぽい」
「えー、そんなつもりないけどなぁ」
 おどけるような母の言い方が鼻につく。しかし何を言っても無駄だと思い大人しく母に従った。父はと言えば修を膝に抱いてテレビを見ている。母が忙しいというのなら、母を休ませて父が食器洗いをすればいいのに。
「二人でやったら早いわね。お疲れ様」
「お風呂入ったら寝るから」
「あら、早いのね。あ、じゃあその前にちょっと発表があります」
「なに?」
 仰々しくそう言った母は母子手帳を取り出す。そしてぺらぺらとページをめくり、付箋のついたページを私たちに見せた。
「今日の検診で修の血液型が分かったの! AB型だって!」
「おお。えーっと……これで家族全員血液型が別だってことになるな?」
「もしなにかあったら輸血できないわね」
「……あれ」
 確か母はA型で父はB型だったはずだ。そして修がAB型。でも、私は。
「私だけA型でもB型でもないの、なんで」
「あー……説明が難しいんだけど、そういうこともあるんだよ」
「遺伝っていつ習うんだっけ? 中学?」
思わず疑問を口にすると父は少し説明しづらそうに視線を彷徨わせた。母なんてあからさまに話題を逸らそうとしている。その様子で確信した。やっぱり私はこの家の子供じゃない。よその家の子供なんだ!
 だったら私の本当の親は一体どこにいるのだろう。母の言うことが本当だったとしたら、私は橋の下に捨てられていたことになる。だったら本当の両親は私のことなんていらなかったのだろう。そして恐らく本当の息子ができた今の両親も、きっともう私のことなんていらなくなる。むしろ邪魔に思っているのかもしれない。途端に不安になってきた。そのうち施設にでも預けられてしまうのかもしれない。
「ね、ママ……あの……」
「思い出した。ね、基子のアルバムってどこにあるっけ?」
 不安に駆られて母を呼んだ声は、明るい母自身の声でかき消された。どうして突然私のアルバムの話なんてし始めたのだろう。もしかしてアルバムを持たせて追い出すつもりじゃないだろうか。恐怖で固まったままの私には気づかないらしく、両親は呑気に話を続けている。
「アルバム? あれ……君の家から持ってきたっけ?」
「あー、実家かぁ。ずっと見てないと思ってたのよね」
「なんで突然アルバムなんて言い出したんだい?」
「修のアルバム作ろうと思ったんだけど、そういえば基子のやつどこだったっけって思い出したのよね」
「またそんな……」
 修の写真を見て私のアルバムを思い出したのか。やはり私のことなんて二の次なんだ。
「なんでこの家に置いてないの。見る機会とかなかったの」
「いやー。ここに引っ越すまでにおばあちゃんの家に住まわせてもらってたんだけど、色々おいてきちゃったのよ」
「アルバムなあ……日々の暮らしで忙しくて、全然見返したりしなかったな」
 全然見返したりしないと分かっているのに、修の分は作るのか。話を聞いていると私と修への愛情の掛け方に差を感じてどんどん気分が沈んでいく。すっかり俯いたままの私には気づかないようで、両親はまだ何か話を続けていた。
「一度取りに行った方がいいんじゃないか。お義母さんたちも困るだろ」
「うーん。まあ確かに手元にあった方がいいかもね。でもちょっと行くには遠いのよ」
 祖父母の家にはこちらに引っ越してきてからほとんど行ったことがない。でも一緒に暮らしていた時には祖父にとてもかわいがってもらった記憶がある。それに修が生まれた時にしばらく祖父母がこちらに来ていたが、その時も祖父は私の世話をあれこれと焼いてくれた。
 そうだ。母や父に捨てられてしまっても、祖父ならもしかすると面倒を見てくれるかもしれない。……でも実の孫である修がいるのにそう上手くいくだろうか。しかし今は藁にもすがりたかった。
「……おじいちゃんの家、行きたい」
「え、なんで急に」
「だって全然行ってないし! おじいちゃんに会いたい!」
「アンタ、昔っからおじいちゃんのこと好きねぇ。うーん、どうしようか」
「いいんじゃないか。修が生まれてから基子をどこにも連れて行ってあげられてないし」
「まあ確かにそうね。なら週末に行きましょ。基子、ちゃんと予定空けときなさいよ」
 どうにか祖父母の家には行けるらしい。しかし父の言葉を聞いて、修が生まれてからというもの二人とも修の世話にかかりきりで家族旅行などには全く行っていないことを思い出した。修が生まれる前は週末に車で少し出かけたりしていたのに、今は家にこもりっきりだ。こんなに分かりやすかったのに、私はあえて気が付かないようにしていただけなのかもしれない。だって、二人とも私より修のことの方が大切だって思い知らされる。
 そして待ちに待った週末。早朝から父の運転で祖父母の家へと出発した。助手席には私が座り、後部座席には修と母が座る。久々の家族でのお出かけに心を躍らせたが、車内の話題は修のこと一色ですぐに気分が沈んでしまった。
「修は長距離のドライブが初めてだから、酔わないか心配だなあ」
「それもだけど、おむつ替えのタイミングで休憩できるかな。うーん、色々心配だからあんまり遠出はしたくなかったのよね」
「……まあまあ。そこはなんとかするさ。基子、カーステレオ使っていいよ」
「ん……」
「あんまり大きな音は鳴らさないでね。修がびっくりしちゃうから」
 わざわざ注意なんてされなくても、私だって一年修と暮らしてきたんだからそんなこと知っているのに。母はきっと私のことが可愛くないから口うるさく注意をするんだ。何か粗を見つけては𠮟りつけたいんだろう。母には返事をせずにラジオをオンにする。昔流行った音楽などには全く興味がないが、修の一挙一動に盛り上がる両親の会話を聞いていたくなくて必死にラジオの音声に耳を傾け続けた。
「うーん、ようやく着いた!」
「渋滞さえなければもっと早く着けるんだけどねぇ」
「あの道は混むからなあ……」
「あらあら! 遠路はるばるご苦労様!」
「母さん! ほら、修よ」
「修ちゃん久しぶりねぇ。基子ちゃんも!」
「お、お久しぶりです……」
「あら、なんだい。他人行儀だね。まあ中々会わないから仕方ないか! ほら、入って。お茶にしましょう」
 祖母は明るく笑って屋内へ入っていった。父も母も修を抱いて後に続く。動けないまま突っ立っているのは私だけだ。祖母が私たちに呼びかけた瞬間が何度も脳内を駆け巡る。私のことはオマケみたいな言い方だった。何を楽観視していたんだろう。私が橋の下で拾われた子だとすれば、祖父母にとっても私は他人なのだ。
「基子、何してんの。早く入りなさい」
「……はーい」
 母に促されて玄関へ向かう。しかしこの家に入る権利は私にあるのだろうか。もう何も分からない。
「で、今日はどうしたんだっけ」
「もう。基子のアルバムを取りに来たって連絡したでしょ」
「ああ、そうだった。しっかしあれだね。この家は物置じゃないってのに」
「ごめんって。で、どこにあるの?」
「さて、どこだったか。あんたたちが使ってた部屋じゃないかね」
「……こっちだ」
 聞こえてきた祖父の声に顔を上げる。祖父は記憶の中の通り優し気な笑みをたたえて立っていた。
「おじいちゃん!」
「基子、久しぶりだな。お前も修も大きくなって」
「……うん」
 おじいちゃんは私の頭を一撫ですると、持ってきたアルバムを机の上に置く。何冊も同じ表紙のアルバムが並んでいたが、なぜか一冊だけとても古いものが混ざっていた。
「これだけなんで古いの?」
「初子……お前のお母さんがお前くらいの年齢の時のアルバムだ」
「え、ちょっと、お父さん!」
「いいじゃない。せっかくだから見比べてみましょうよ」
 恥ずかしそうに大きな声を上げた母とは対照的に祖母も父も面白がるようにして母のアルバムを開いた。……私のアルバムを見に来たはずなのに。
「おお、可愛らしいじゃないか」
「やだ、あなたそんなこと言って」
 開かれたページには幼き頃の母が写る少し色褪せた写真が何枚も載っていた。幼い母の姿はより修に似ているように見えて、一人心を痛める。そんな時、ある一枚の写真が唐突に目に留まった。母の隣に写っている少女の髪はふわふわとうねっており、私の髪にとてもよく似ていた。思わずその少女を指さして母に尋ねる。
「この子、誰?」
「……ああ、その子は……」
「次恵。……初子の妹だ」
「え、私に叔母さんがいるってこと?」
「基子が知らないのも無理はない。この写真のすぐ後、交通事故でな……」
「そうなんだ……」
 写真に写る次恵の年齢はちょうど私と同じくらいに見えた。そしてその姿は見れば見るほど私にそっくりだ。それこそ、母親は次恵の方だと言われたら信じてしまいそうになるほど。
「基子は次恵によく似てるのよね。髪の生え方なんて本当そっくり! 髪を結んであげるたびに思い出しちゃうもの」
「え」
「どうしたの?」
「わ、私、お母さんの本当の子供なの!?」
「え!? ちょ、どうしてそんなこと思ったのよ!」
「……そりゃ君があんなに橋の下で拾ったって言うからだろ」
「こら! 多感な年頃の子供の前でそんなことばっかり言ってたのか!」
「母さん。お前人のことを言える立場かい」
 思わず叫んだ私の言葉で穏やかだったはずのリビングは混乱に包まれた。結局分かったことと言えば、母のいつものアレは祖母から代々受け継がれた本当にただの冗談で。まさか私が本気にして悩んでいるなんてこれっぽっちも思っていなかったらしい。なんてひどい話だろう。安堵で流した涙を見て両親も祖父母も大層慌てたようで、祖父母はあれこれとお菓子やジュースを持ってきてくれたし、父は焦ったように「ケーキ! ケーキ買ってきます!」と言って家を飛び出していった。そして母は私に平謝りしている。
「ごめん……まさかそんなに悩んでるなんて」
「だ、だって。最近ママもパパも修ばっかりだし、私のことは怒ってばっかりだし」
「そうね。そうよね。……私も次恵が生まれた時にそう思ったのに、なんで繰り返しちゃうんだろうね」
 母は泣き続ける私を優しく抱きしめ、背をぽんぽんと叩いた。こうして抱きしめてもらうのも久しぶりだったような気がする。でも思い出した。修が生まれる直前まで、私はこうしてよく抱きしめてもらっていた。しっかりちゃんと愛情を注いでもらっていた。どうして忘れていたんだろう。
「で、でも、血液型も」
「A型とB型が混ざったらAB型が生まれるわけじゃないのよ」
「え、そうなの?」
「うちは母さんがO型で俺がA型だ。ABO血液型の理論はだな……」
 そう言って祖父はチラシの裏になにやら図を書き始めた。まだあまりよく分からなかったが、母と父の血液型の組み合わせだとO型も生まれてくるらしい。なんだそれ。一気に脱力する。祖父はそんな私を見て、ふと私の髪に手を伸ばした。
「初子や修みたいなまっすぐな髪がよかったか?」
「え? えーっと……まあ雨の日は膨らむからちょっと嫌かも……」
「悪いな。じいちゃんの髪がくるくるだったんだ」
「……え!?」
 思いもよらぬ言葉に祖父の頭を凝視する。そこにはほとんど髪なんて残っていない。祖父なりの冗談なのかの判別すらつかない。しかし先ほどまで私に寄り添っていた母親が笑い始めたのを見る限り、どうやら本当だったらしい。
「そんなこと言っても、もう分かんないわよ。残ってないじゃない」
「うるさい。……基子は俺に似ていて、可愛いと思うぞ。もちろん修もだがな」
「……うん。うん!」
 安心したらなんだか眠くなってきた。ここ最近色々と思い悩んでいたから食事も睡眠も満足にとれていなかったからだろう。勝手に閉じてくる瞼を擦っていると、修を抱いた祖母がにこやかにこちらへ歩いてくる。
「基子ちゃん、初子に似てないって言ってたけど私から見たらそっくりよ。笑った時に片方だけにできるえくぼとかね」
「……そっか、よかったぁ」
 緩む自分の頬をそっと撫でる。確かに少しへこんだそれは目の前で微笑む母の頬にできているものと一緒だった。よかった、私の家族はニセモノなんかじゃなかったんだ。安心した私はいつのまにかすっかり眠りに落ちていた。

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