「属人」という言葉に思うこと
ぞく‐じん【属人】
その人に属すること。法律などで、人を基本として考えること。
「属人」という言葉があります。
この「属人」という言葉だけで使うことはあまり多くなくて、「属人性」とか「属人化」というふうな言葉で使われることが多いんじゃないでしょうか。
多くの場合、この「属人性/属人化」という言葉を使うときにはネガティブな要素を含んでいるように思っています。たとえば、
「属人性が高い(ので良くない)」
というふうに。「属人性が高くてイイネ!」って言ってるのはあんまり聞いたことない。あんまり。でもホンマにそうなんやろうか。
私はこの「属人性/属人化」が多くの場合、良くない文脈で使われることに違和感があって、もうちょっと肯定されるべきなんじゃないのかなと思ってます。
「属人」の反対を考える
「属人化」の反対にある言葉って何でしょうか。辞書によると「属地」というのが反義語になるようで、
ぞく‐ち【属地】
1. 付属している土地。属土。
2. 法律の適用などについて、その土地を基本にして考えること。
とあります。「その場所についているもの」というぐらいの意味なので、仕事であれば、「その職場/職種についているもの」というところでしょうか。たとえば営業という仕事でいうと、属人であるものと属地であるものを考えると、下記のようなことになるのではないかと思います。
属地 → 営業日報の入力作業、注文書の事務処理業務など
属人 → 顧客への訪問タイミング、価格交渉術など
「属地」にはあるのは、手順なども分かっている業務ですし言葉で説明しやすいと思います。「属人」にある方は説明がしづらくてフィーリングでしか言えない部分が大きいです。特に営業とかだと「その時の空気感で判断するんや!」みたいなこともありそう。唐突な関西弁。
「属人」なものを「属地」にするために必要なこと
先に書いたとおり、「属地は言葉で説明できるもの」という点で考えると、「属人」とされている業務もすべて言語化すればよいのです。
仕事においての言語化というのは、つまり標準化=マニュアル化です。
さっきの例でいくと「こういうパターンで顧客と交渉しているときには3日後に訪問するのがいい」みたいなことを、誰が解釈しても齟齬がないように言語化すれば、それは「属地化した」と言っていいでしょう。
さてどうでしょう?できると思います?
多くの人が「そんなん無理やろ」と思うと思うんですが、なぜできないんでしょう。何が無理なんでしょう?
人は感覚を言語化できるほど賢くない
どんなに論理的に仕事をしている人だって、絶対に感覚的に動いてる部分はあるんです。なぜなら、機械相手ならともかく、一緒に働いてる相手は人間ですからねえ。感情とか感覚で動かざるを得ないんです。
そして、その感覚的な部分を言語化するのなんて今はまだできません。
簡単な話として「あなたが好きなものの、好きになった理由を言語化して」って言われたってできないと思います。「だって好きなものは好きだから・・・・」でしかないですよね。
「属人」を排除しすぎてはいけない
「属人」であることを悪として排除しすぎるのは良くありません。
「属地化」して、「誰がやっても同じ結果がでる」は理想のように思えますが、「属人」の中に含まれているものを「属地化」することは事実上不可能だからです。無理に「属人」を排除することは、「言語化できない部分を切り捨てる」ということに他なりません。
今後AIが発展して、AIが何らか分析するようになれば可能かもしれませんが、今はまだ無理でしょう。
組織を運営するとき、チームをマネジメントするとき、重要なのは属人性を排除しすぎずに、全体最適化することだと思います。すべてを属地化したら全体把握しやすいし、そっちに流れたくなるのは分からなくもないんですけどね。曖昧な部分は残しておいた方がいいってことです。
それでは。