フェミニズムに興味を持ったのは
それは、今いる大学のおかげ。
うちの大学ではジェンダーに関連する授業がいくつか開講されていて、中には必修のものもある。
そうして大学生になってから自然とジェンダーの問題、特に男女格差に関心を持つようになった。
それらの授業を通して私が感じた一番の面白さは、世界を逆から見る感覚だった。
世界を逆から見る感覚
実際に、多くの歴史や権力の語り手は男性である。
"history" が "his story" と言われるように。
そこでその語り手の視点を女性や男性以外に移すことが、女性学やジェンダー学の起点であると私は思うのだが、そうして見えた世界は私にとって新鮮そのものだった。
新しい視点の獲得は私の思考を変え、常識を変えてくれた。
それまで見えていた社会や、当たり前だと思ってきた歴史的事実が、いかに偏っていて多くの物を隠していたのかに気づき、まわりで起きる色々なことに対して疑いを持って考えられるようになった。
ただ、これを知り学んでいくことは面白さと同時に、女性が置かれてきた過去や現状に対する悔しさややるせなさ、そして少しの怒りを感じさせる。
「なんで女性だからって理由だけでこんな扱いを受けなきゃいけないんだろう」
「なんで男の人は女性が自立することを嫌がるんだろう」
こんな疑問が浮かぶようになり、なんで多くの人がフェミニズムを嫌うのかが気になり始めた。
韓国留学
『82年生まれ、キム・ジヨン』に出会ったのが決め手になった。
この本には80年代のごく一般的な女性の人生が描かれているのだが、その随所に女性が女性であるだけで抱える生きづらさが描かれている。
隣国、韓国でも同じようなジェンダー格差が社会には蔓延っていて、むしろ日本よりもひどいくらいの男尊女卑的社会が今もまだ影を落としている。
ただ、日本と違うのは、韓国ではフェミニストの活動もより活発であるということ。抑圧的な男性社会に反発する女性たちの連帯が強いことである。
この点に惹かれて私は韓国の留学を決めた。
似たような状況におかれた韓国女性たちがどのように戦っているのか、エンパワーしているのかを見に行くために。
しかし、この活発なフェミニズム・フェミニストに対し反発するアンチフェミニストもまた韓国には多い。(主に男性)
「フェミニストにはならないでね」
衝撃だった友達の一言。
留学に行く前に、以前から知り合いだった韓国人の友達と専攻のことについて話をしているとき、私がジェンダーやフェミニズムに興味があることを言うと、友達がこう言った。
「女が悪いとか言いたいわけじゃないけど、フェミニストにはならないでね」
え、私もう、
フェミニストなんですけど?
その友達は続けてこうも言っていた。
「韓国ではフェミニストが強い人とか怖い人だと思われるから、〇〇(私)にはそうなってほしくない」
なんであなたにそれを決められなきゃいけないの?
友達として、韓国でのフェミニストへの否定的な視線を心配して言ってくれたことかもしれないが、それを聞いた時点で私は珍しくカチンときてしまって、より一層フェミニズムへの思いとフェミニストとしての自覚を強めた。
難しく考えないで
フェミニストって自称するのは難しい。勇気がいる。
私自身もまだあまり人には言ったことがない。
フェミニストはみんな上野千鶴子みたいにショートカットで、饒舌で、そこらへんの男は蹴散らしていけるような強い人じゃなきゃだめ?
そんなことないはず。
私は1つだけフェミニストの条件があると思っている。
”女性の活躍を応援していること”
簡単。これさえあればみんなフェミニストじゃないだろうか。
少なくとも私はこの気持ちだけでフェミニストを自称している。
フェミニズムやフェミニストに対する過度なアレルギー反応を起こす人が減って、もっとライトでクールにフェミニズムを語り合える日が来ることを願っている。
最近卒業論文を構想し始めたところで、自分がなぜそのテーマを選んだのかを、起点を整理したくて書きました。
だから今後迷ったときの自分のためのメモです。
でも共有もしたかったです、本当は。
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