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私か能楽師になったワケ 

こんにちは🌸
観世流シテ方能楽師の渡邉瑞子わたなべみずこ です。これからnoteで少しずつ発信して行きたいと思いますので、お付き合い頂けたら嬉しいです。
今回は、そもそもなぜ私が能楽師になったのかお話しようと思います。

私は富士山のほど近く、山梨県都留市という所に生まれ育ち、高校を除き大学まで都留市で過ごしました。両親は二人ともお堅い地方公務員。
そんな私が、能楽師になりたい!!と強く志したのは地元•都留文科大学に在学している時でした。
都留文科大学は教師を多く輩出する大学ですが、私は
国文学科で故 楠元六男先生の下、近世文学、特に松尾芭蕉、山口素堂など俳諧を学び、サークル活動では合唱団に所属していました。
週末は勝沼のワイナリーや、大月市の酒造でアルバイトをして青春を謳歌していました。

そんなある日、サークルの友達に誘われ東京にお能の会を観に行った時、幽玄の舞、お装束の美しさ、囃子方•地謡の人々の整然として無駄のない動き、舞台全体の静謐な雰囲気…それら全てに若かった私はすっかり魅了され、シビレてしまいました。

都留に戻ってきてからも能の舞台が頭から離れず、能楽師になりたい!と強く思うようになっていきました。若さとは時に恐ろしいものです…笑
それまでの私は教職課程を履修していたこともあり、大学を卒業したら教師になるのだと漠然と考えていましたが、この経験により能楽師になることを決意しました。

しかし田舎の一大学生に過ぎない私がどうしたら能楽師になれるのか全く判りません。大学や市の図書館にある能楽関連の本を片っ端から読み漁り、また、当時教育実習をしていた母校の高校の先生に相談してみたところ、何と、私の生涯の師と仰ぐべき人間国宝 故•野村幻雪先生(本名野村四郎先生)をご紹介いただきました。



         つづく


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