歌の心は英語で知ろう!
2019年3月6日(水)
ほぼ日の学校[万葉集講座] 第5回は、
「『百人一首』を英詩訳して」
ピーター・マクミランさん(詩人・翻訳家)の授業でした。
授業前、講師のピーター・マクミラン先生の本で予習。
授業前の予習
先生は、万葉集ではなく百人一首の翻訳をされています。
だから、万葉集の授業を最初お断りになられたとか。学校長の説得があってこその今日の授業というわけですね。またいい仕事しちゃいましたね、河野学校長。
短歌を翻訳って、、、五音七音にするわけにもいかない。
(以前は、31 words?の縛りがあったとか・・それじゃ調子崩すよね・・)
以前、ほぼ日の学校[シェイクスピア講座]でも、翻訳の苦しみを聞きました。
英語を日本語にする場合、特に、韻文(詩)は、音、韻を大事にしつつ、
言語そのままの意味、
同音異義語などの複数の意味、
全部は盛り込めないから、どれを取るか、大事なのは、どれを落とすかを考える必要があるとのことでした。
今回は、歌の英訳・・私は英語が苦手というか、受け付けません。それでも英語のほうが内容が入ってくる歌があることを予習した本で知りました。
例えば、先生の翻訳を見ますと、英語のほうが理解が進みます。
君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪は降りつつ
For you,
I came out to the fields
to pick the first spring greens.
All the while, on my sleeves
a light snow falling.
あひ見てののちの心にくらぶれば
昔はものを思はざりけり
When I compare my heart
from before we met
to after we made love,
I know I had not yet grasped
the pain of loving you.
シェイクスピアのとき、翻訳の苦労を何度も伺ったことから、歌を詠むとき以上に、歌を英訳するときには、身を削るような気持ちもあったろうと想像します。
さて、どんな授業になるんだろう?
(ここでは授業の詳細は書きません。オンライン講座配信をお待ちください)
今日の授業
いい授業でした。私が “いい” というときは、わかりやすく熱量を感じるとき、場の感情量が多いときに使っている気がします。
花粉か風邪かよくわからず、体調が悪いこともあり、感じやすかったと思うのです。ときどき涙腺にきました。終わりのほうは、ちょっと先生が滲んでいました。
存在が歌人然としていた岡野先生や永田先生とも違いました。
ちゃんとした授業なのに、理解が進み、見せ場もある、笑いも取る授業をされる上野先生とも違う授業でした。
(今回の授業の様子の一部は「ただいま製作中」をご覧ください)
授業の間、また最後にも、先生から、日本のこと、日本人のことについて、お話がありました。
普段、ニュースを見ると、日本人であることで誇らしい気持ちになることは少なくなっています。今後、社会が悪くなることばかりが流れているように感じます。でも、今日という日は、日本人ということだけで誇らしくなりました。日本全国、津々浦々、歌を詠める人はいる。こんなことは他の国ではないだろう。1,600年、ほとんど形を変えないものを受け継いでいる我々を本当に誇らしく感じました。
(別に、自分が偉いわけではないんだけど・・ね)
そして、今日、授業で、何人かが歌を詠むのを聞いて思いました。
みんなレベル高い!
私も今よりレベル上げたい!
と、向上心が生まれました。
うぉっ、うま!
あぁ、すごいな・・
そう感じた方には、毎日、詠んでいる方もいれば、そうでない方もいたでしょう。前に授業をされた永田先生の奥さまである河野裕子さんは、なんでこんな言葉が出てくるの!って、他の歌人の方が驚く言葉を持ってこられることがあったそうです。
そう思うと、歌には、今まで生きてきたものが出るんじゃないかと思うのです。
だからといって、うまく詠めなくてもしょうがないと諦めてはいませんよ。
今、下手ながら毎日詠んでいます。
この機会を活かして、歌を詠むことで、逆に自分を豊かにしたい、とそう思いました。
新聞投稿もときどきやっていますが、採用されなければフィードバックが得られません。もううまくなるためにも、歌を詠む人たちが集まる場に行ってみることにします。
駄作でも詠めるということだけで、自分も何かを受け継いでいること、それを教えてくれたピーター・マクミラン先生に感謝します。ありがとうございます。
次回は、俵万智先生です。
本を通じて、私にテクニックの一旦を教えてくれた先生の授業、楽しみです!
他に、万葉集の予習
今回の授業まで、万葉集についてのお勉強しました。
あぁぁ「天上の虹」があと少しで終わっちゃう・・ていうか、武市皇子があっけなく世を去り、まだ立ち直れません。