人生を見るアングルを変える。ドキュメンタリー映画のおもしろさ #ほぼ日の學校
「ほぼ日の學校」アドベントカレンダーは18日目です。
ドキュメンタリーとリアルはイコールではありません。編集によって、切り取りが発生します。テレビのニュース番組やSNSの投稿を見ればわかるように、一部を切り取れば、それは現実とは似てもにつかない悪意あるコメントにもなりますし、話す順番や別のシーンを挟むことで、逆の意味にもなってしまうことがあります。
仕事で、事例記事なんかを書いていると、インタビューの一部を自分が使いたい文脈で使うことがあって、意図してか、意図せずにかに関わらず、自分が主張したい編集、演出をしてしまうことがあります。
でも、やはり現実の人間が主体にあるので、うまく切り取り、編集さえすれば、よりリアルの本質に迫ったものと、見る人が感じて、説得力をもったものにもなります。
でも、現実とは違う形で提示することになるならば、なぜドキュメンタリーという方法を選択するのでしょうか? また、どうすれば、よりおもしろいドキュメンタリーになるのか? その辺を知りたくて、この授業を視聴しました。
授業紹介
アングルを変えれば、考えが変わる。 ドキュメンタリー映画から学ぶこと。 | 豪田トモ | ほぼ日の學校 (1101.com)
カメラがあるからこそ生まれたリアル
最近のドキュメンタリーでは、編集による加工に留まらず、CGやアニメーションを挟むこともあるそうです。
そんな現実にない映像まで足してしまって、ドキュメンタリーである必要があるのか?
トモさんは
「カメラがあるからこそ生まれたリアル」
と言います。
例えば、普段ならケンカになって話し合えない夫婦がいても、カメラがあって、トモさんがいるから、夫婦で話し合えるということもあります。
完成までに三年近い年数がかかる作品を作る過程で、撮る相手との信頼関係ができます。取材対象が、血のつながらない自分の子に対して、その事実を伝える決心をしたあと、トモさんがいるなら言えるかもしれないとおっしゃることもあるそうです。
ドキュメンタリー原理主義の人には、対象の出来事に介在しないほうがいいという人もいるそうですが、トモさんは、撮影する過程でも、自分という人間のままに接するようにしているそうです。相談されれば相談に答える。
ドキュメンタリー映画を作るおもしろさ
トモさんが、最初にドキュメンタリー映画を撮ったのは、偶然依頼を受けたことにはじまりますが、制作する側のおもしろさもあるようです。
また、『生まれる』という出産をテーマにした作品を通じて、トモさん自身の親との関係が変化したそうです。自分自身にも、化学反応が起きたことに驚いたそうです。
ドキュメンタリー映画は人生に対するアングルを変える
演出によって、嘘をつくわけではなくて、そういう見方もできるんだ、という視点を監督が得て、映画を観る人にも与えてくれます。
そうするとどうなるか?
「過去を変えると未来も変わる」とトモさんは言います。
そりゃそうです。
因果関係というものは、原因があって結果があります。原因が変われば結果も当然変わります。過去の事実のとらえ直しによって、原因となる事実が変質すれば、当然、別の結果(未来)につながるでしょう。
トモさん自身は、過去のうまくいかなかった自分の親との関係もあって、もともとは家庭なんて持ちたくなかったし、子どもも欲しいなんて思わなかったと言います。でも、親との関係が変化して、人生を評価し直したことで、家族っていいものかもしれないと考えるようになったそうです。
まとめ
ドキュメンタリーの手法について知りたいと思って視聴しましたが、過去のとらえ直しによって、未来が変わる話を聞くことができました。
人の話を聞くというのは、本当におもしろいものですね。もちろん、人から聞く話だけでなく、本や映画もそうですけど。何かを期待して行動しても、期待した通りの結果は得られないことのほうが多い。それはいい意味でそうでした。
今日は仕事の記事の書き方のヒントが欲しいという実利を期待して、思わずいい話が聞けました。さて、私は、これから先、どんな過去の事実の見方を変えることになるんでしょうか。それができれば、また新しい自分に出会えることになるわけですね。
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。