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会社組織の新定義:株式会社ほぼ日を例に経済学者の岩井克人さんに教わる #ほぼ日の學校

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー12日目です。

今日も授業を一つご紹介します。

会社って、資本主義の中にあっても、今の形がベストじゃないよね?
って話はいろんなところでされていると思います。

私は、こちらの本でそういった主張と背景を知りました。

糸井重里さんが創業したほぼ日について、この著者の岩井さんとの対談です。今回の授業は、こちらにまとめられています。

私が会社を経営することはないと思いますが、お金の流れ、好きなことを続けるための仕組みを理解するためにどういうことを考えるべきか、基礎教養として押さえておきたい話です。

授業紹介

経済学者岩井克人さんの目に、 「ほぼ日」は、どんな会社に見えているのか?
岩井克人 (経済学者)

『ヴェニスの商人の資本論』や『会社はこれからどうなるのか?』などの著書で知られる経済学者の岩井克人さんと糸井重里による対談です。会社や資本主義って、どういうものなのか?岩井先生の語る「会社は二階建て構造である」の意味は?ほぼ日25周年の機会に、ほぼ日の乗組員たちの前で行われた「特別授業」。そのまま、ほぼ日の學校でも見られるようになりました。

経済学者岩井克人さんの目に、 「ほぼ日」は、どんな会社に見えているのか? | 岩井克人 | ほぼ日の學校 (1101.com)

糸井さんが株式会社にした理由

糸井
ぼくの実感としてあったのは
フリーで生きる選択とチームプレーで
2階建ての建物を作るという考え方
それが 頭の中でいちばん
対立していたような気がするんですよ
フリーでやっていくのは
言ってみれば 作家性ですよね
作家性は 人に認められることで
自分が生きていくことができる
同時に人々に問いかけることが
非常に純粋な形でできるように
見えるんだけども
実はどこかで「売れる」ことだとか
間に入る出版社の意図だとか
いろんなもので 純粋でもなく
「これは身過ぎ世過ぎだから」
という言いわけもあるし
いろいろあるんですけど
はたして個人でやってるほうが
崩れやすいなっていう
自前で建物 屋根のある場所を得て
そこでやるほうが一匹狼でいる以上に
みんなの自由を作れるんじゃないかな

自由なことができると思われがちなフリーランスですが、実際には、クライアントや社会からの要請にすごく敏感で、それに応えていかないといけない。自分の作りたいものが作れないかもしれない、ということですね。

法人という存在

糸井
ぼくは 野球のファンで
ジャイアンツという球団が
好きなんですけど

これ ぜんぶの選手が
他のチームと入れ替えられてしまって
いまのDeNAの選手が全員
ジャイアンツのユニフォームを着て
ジャイアンツとして出たら応援するか
自分に問いかけたことがあるんです

…絶対 するんですね
これが 長年の文楽公演と同じで
「ジャイアンツ」という演目が培って
重ねてきたコンテンツの歴史というか
そこにみんながやっぱりつくんだなと
あらためて思うと
とっても愉快じゃないですか

岩井
法人は本当に不思議で 組織だから
チーム全員入れ替わって糸井さんが
いなくなっても ほぼ日は残るんです
そういう存在なんですね
それが糸井さんが ほぼ日を
会社にした意味だと思うんですね
私たちの年齢になると
いろんな周りの人がどんどん
亡くなっていくわけですけど
糸井さんも150までは生きないと思う
いつかは糸井さんがいなくなる
ちょっと申しわけないですけど
ほぼ日は 必ずできるわけですけれど
あるわけですけど
そこでも
「ほぼ日」が続いていく
それが会社というものなんですね

個人の色が強く見えても、その個人がいなくなっても、動くもの、社会にあり続ける存在。組織が持つ、歴史、それから生まれる特徴がある。確かに不思議な存在です。

最近流行のパーパス経営

岩井
いま流行ってる経営というのは
英語では「パーパス経営」
目的を持った経営というんですけれど
これがあまりゴリゴリやると
「金儲け」の経営と変わらなくなる
目的が別のものになっただけで
たぶん ほぼ日の指針というのが
働いている人に目標ではなくて
自由に動く「場」をあたえると
場がなくては人間自由に動けないので
「場」をあたえるという意味が
非常にあるんじゃないかな
単なるパーパス経営とは
やっぱり だいぶ違うな
という気がしますね

今はやりの「パーパス経営」もそれを突き詰めれば、見失うものがあるというのは、その通りだと感じます。ではどうあればよいのか?

今の会社組織

この前に文楽の例えがあって、人形という主体が法人、黒子としての人が社員というお話がありました。

糸井
いま ぼくらが
実感として持ってるのが
消費する側に立つだけじゃなくて
消費させる側というか
「演目を演じる側」に
みんなが立ちたがってる時代だなと
文楽を演じる後ろで
「仲間として見てていいですか?」
という人がいちばん多い気がする
それも いままでの経済の循環を
変えていくんじゃないかな

岩井
新宿三丁目のバーで はやってる店は
お客さんがいつの間にかカウンターの
向こうに行ってサーブするとか
そういうバーや飲み屋が ある程度
固定客を掴んで頑張れる
やっぱりそれは ひとつの
これからの会社のあり方ですね

糸井
たとえばエンターテイメントの
ディズニーランド的な施設でも
お客の存在がショーですもんね

最近「自分も裏方として入りたい」って欲求がある利害関係者が多いのは、確かに感じています。それをうまく仕組み化してると、ファンや、株主、サービスのコミュニティが、より、好循環を作ってくれてるというものはありそうです。

会社をうまく回すために必要な感覚

糸井
ほぼ日は もともと
ぐにゃぐにゃした不定形の会社で
だいたい正解なんじゃないですかね
いま考えてたんですけど
「何が気をつけなきゃならないことか」
という聞かれ方に近かったので
間違った答えとして考えついたのが
「面白くないなと思いだしたら
ダメなんじゃないの?」
でも腐った人が思ってる
「おもしろくなさ」というのは
意味ないんだよね

ダメなチームが
「最近おもしろくねえな」と
言ってるようなことでは つぶれる

それじゃないなと思ったのよ
「運良くここまで来た」という
言い方はもちろんあるんだけど
僕の中で「運良くだけじゃない」って
ちょっと言いたい気持ちもあるわけ
それは何かというと 温度
気温とか体温とかの温度があって
お客さんに喜ばれてる時には
その温度上がるじゃないですか
自分がいいなと思ってる時には
その温度上がるじゃないですか
いいなと思ってるわりには
ウケない気がするなという時には
下がるじゃないですか
いつもなんか温度計を ぼく
いつも持ってた気がするんですよ
現社長として
それ以上に上げた覚えもないし
下げた覚えもなくて
「やばいぞ 最近」も
「いまいいからほっとこう」も
ぜんぶ温度計持ってた気がする
それ みんなも実は持ってて
新人であろうがベテランであろうが
温度が見えてないと意見が揃わない
「さあ 行こう!」という時に
「いいんです このままで」と言って
止まってるのも 温度の判断だし
調子づいて みんなでワーっと行って
失敗するのも温度なんだけど
ぜんぶ「いまいい温度かな」というのは
なんかすごく重要な気がするね

気持ちがのっかる感ということなのかな。お金や、目標に向かうことだけじゃなくて、自分が携わってる理由、関わる熱意の根源を失くしてしまわないことは大事そうですね。ガチガチにルールや規則を作って縛ったりすると、そういうものが失われやすいのは、日々の仕事でもそうでしょう。「中期経営計画の目標達成」一辺倒、なんてのもそういうことをうまくやれない原因になりそうです。

まとめ

自分が好きなこと、やりたいことをやる延長にも、今回の話はよくよく立ち戻って考えたい話題でした。会社経営をしなくても、どうすれば、周りのみんなが、ノリノリで仕事をできるか考えるためにも。そして、あと十数年で定年を迎えるのであれば、その先の自分の仕事の仕方にも関わってきます。


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