『ぞうのうんこ』で気になった歌9首
たまたま図書館で手に取った、表紙、裏表紙、奥付にも歌がある歌集。
(たぶん見落としてなければ)46首が掲載されている。
『ぞうのうんこ』の感想
詩のように音と言葉で情景を夢想させる短歌もあれば、絵と合わせて一つの短い物語の体の短歌もある。ちゃんとオチまでついたものもある。
短歌は、俳句よりも長いので、散文一つくらいを盛り込むことができる。気の利いた文章みたいなものを狙って詠むこともできるけど、それをやると「うまい広告みたい」と言われてしまう。でもそこは、さすが歌人、加減をわきまえている。とはいえ、現代の、現代語による短歌が流行る以前から短歌に親しんだ人からすると、遊びすぎかもしれない。
童話や子ども向けの作品を知っていれば、楽しめそうな歌も結構あった。もっと楽しめるとよかったのに。。でも、忙しい仕事の合間に、ちょっと楽しい時間をいただいた感じでよかった。
目にとまった歌(9首)
有名な歌。短歌のリズムを体に入れるために、有名な歌を声に出して10回読む、みたいなことをしていた時にも読んだことがある。「象のうんこ」を10回唱えた。それで歌のリズムが入ったかどうかはわからない。
まぁそうですよね。猿がシンバルをたたくおもちゃ、シンバルが取れてしまえば、それは故障したものだけれど、実際にネジさえ巻けば、手も打つでしょう。かなしくなるわけでもなく、そうだよね、叩くよね、と思った歌。
お遊戯がおぼえられない、僕や君にも、ちゃんと役がある。一動作だけで成立する役がある。こじつければ、どんな人にも役割がある、ととらえられるけど、子どもを持つ親の身としてみれば、子どもが舞台に登場してくれるだけで嬉しいし、役を全うしてくれるだけで、ほっとする。君と僕というと、恋歌のような気もするけれど、これは特にそういう歌でもないですよね?
そうそう、そこまで塗る必要ある? という遊具があるよね。
濃い水色みたいな色、雨に濡れてはじかれた水滴、手に持った感触がどれもなまなましい。きっと握ったことがある、あおく塗られたシーソー。
木馬にまたがって、はしゃいだ覚えはある。確かに乗っている時、木馬の顔は見えない。もしかしたら、はしゃいだことによって、イラっとした顔でもされてたら、と想像すると怖い。親になり、子が乗っている時に、そんな顔を見たことはないので、たぶん、そんなことはないだろうけど。子を持つ前に読むと、より「こわっ」と感じる歌かもしれない。
ダンボが実際にいたら… そうだよね。生き物だから、うんこもするよね。そしてそれは重力に従って、落下するよね。こわいよね。榎本俊二の4コマ漫画にお尻がジェットの兄弟が出てきて、両脇にジェットの兄弟を抱えたおじさんが「じゃあ、おじさんも」とお尻からジェットを出そうとして、うんこがひり出された漫画があったなぁ。こわいなぁ…
うんこ、ちんこは、やっぱり喜んでしまう、心が残っているんだろう。
マカロニ好きなのに、しばらくこの歌を思い出すことになって困る。でも、うんこ、ちんこの力は強い。無視できなかった。
風の噂というものがある。実際に、風が吹いた時、そんな知らせがやってくることがあることを想像する。そして、春一番という強い風には、新たな命の誕生という、ニュースが乗ってくるのかもしれない。命は強い。