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「思い出のカレー」の旅路で

Soup Stock Tokyoの店頭で「カシューナッツのホッダ」というメニューを見た時、(あっ、あのカレーかも)と思った。

私には思い出のカレーがある。
中学の時、キャンプで食べたカレーだ。

中二の時、県内の中学生が集まって行われたキャンプに参加した。
キャンプには大学生のお兄さん、お姉さんが指導員として帯同していた。そこに、おそらくパキスタンからの留学生だったと思うが、指導員のお兄さんがいた。

ようやく他校の生徒とも打ち解けだした夕食時、みんなでキャンプ定番のカレーを作った。
(私はやんちゃな同学年の男の子に混じって、ふざけていただけだったが、班のカレーは出来上がった)

食事が始まってすぐ、よく知るカレーの香りに混じって、えも言われぬ香りが漂ってきた。パキスタンの留学生のお兄さんが、カレーを作っていると言う。食欲をそそる香りに釣られて、お兄さんの周りには人だかりができていた。飯盒(だったと思う)の中に入った黄色い液体は、見たことないものだった。

私の知るカレーは母が作るルーカレー。西日本ではよく見かける牛肉と、ごろごろした野菜が入った茶色いとろみのあるカレーだ。
(それもとても美味しくて大好きなカレーだ)

その見たことのない香しい液体は、調理が終わったばかりで、周りの中学生が、「このご飯にかけてくれ」「俺にもくれ」と大騒ぎ。
私も手を伸ばし、自分の皿のご飯にちょっとだけかけてもらった。その後、すぐに無くなってしまったので、かけてもらえたのは幸運だった。

私は、誰かに取られないように、さっきから漂う美味そうな香りする液体とご飯を急いで口の中に入れた。

クリーミーな香りの後、これまで感じたことのないスパイシーさと辛さを感じた。刺激物があまり得意ではない私だが、旨さと一緒に感じたそのスパイシーさと辛さには好感が持てた。

「カシューナッツのホッダ」を見た時、その時のカレーを思い出した。
実際には、色は似ていたものの、思い出のカレーのほうがもっとサラサラの液体だったし、思い出のカレーのほうが辛かったと思う。でも、ココナッツミルクの香りは、思い出のカレーの風味も思い出させてくれた。


思い出のカレーに出会いたくて、ココナッツミルクの入ったカレーを見ると、食べてみたくなる。ネットやテレビでそうしたカレーを見かけると、できるだけ食べに行くようにしている。

しかし、思い出のカレーに出会ったことはない。
カレーの学校で出会った水野仁輔さんも、東京カリー番長のリーダー
思い出のカレーに勝るカレーはないと断言する。

思い出のカレーが至高であるならば、同じカレーに出会ったとしても、私は、きっとそれと認識できない。だって思い出のカレーのほうが美味いのだから。

それに、留学生が、そこにあった材料で作ったカレーだ。
ふるさとで作るカレーとは材料も違うだろうし、調理器具だって思うようにいかなかったはずだ。偶然できた可能性が高い。

しかし、カレーと言えばいつも、何となく、あの香り、あの味を求めてしまう。ゴールのない旅に出てしまったようだ。思い出のカレーを探す旅。思い切って決意をしたわけではないけれど、このゴールのない旅を続けようと感じている。


Soup Stock Tokyoの「カシューナッツのホッダ」は、そんな思い出を掘り起こしてくれた。Soup Stock Tokyoのカレーは、同店のスープ同様、甘味があったり、丸みのあるカレーだ。スパイシーさ、酸っぱさがあっても、それを必ず他の材料でやさしく包んでくれる。私の思い出のカレーとは違うけれど、旅の途中であることを思い出させてくれたことに感謝している。

このカレーの先にゴールがあるのかも、と錯覚させてくれた。

Soup Stock Tokyoのカレーは、刺激の少ない優しいカレーなので、同店では思い出のカレーに出会えないのだろうけど、きっとこれからも香りや色で、思い出に触れるカレーを提供してくれるだろう。

季節季節にいろんなカレーを提供してくれるので、ちょくちょくと新しいカレーを食べに立ち寄ろう。

いろんなカレー店を巡るのは楽しいが、思い出のカレーは、きっと店では出会えないだろう。いずれ、どこのお店でも出していないとあきらめがついた頃、自分で作り出す気がする。先の長い旅、どんな旅になるのか楽しみだ。

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のーどみたかひろ
いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。