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ほぼ日の學校の公開講座「方言がなくてすみません……」に出かけてきました
久々に、ほぼ日の學校の公開講座に出かけてきました。
講座概要
講座の内容は、動画が公開されてから、そちらをご覧くださいね。
■授業概要
かつて方言はちょっと恥ずかしくて、隠したいものでした。
ところが、1980年前後になると方言は個性的と捉えられるようになり、
むしろ誇らしいものという価値観が目立つようになります。
その後、方言を話すキャラクターがマンガやドラマに
主人公格として登場、方言人気をさらに後押しする時代を迎えました。
この20年の間に、「○○方言をしゃべる女子/男子はカワイイ」という
「方言に『萌える』」感覚が世間に広く共有されるようになった一方、
現代の共通語のベースとなる首都圏のことばをしゃべる人間は、
「方言がなくてすみません……」という残念感を抱く――
そのような大きなことば価値の転換が生じました。
なぜ、こうした現象が起きたのでしょうか。
その背景には、テレビやインターネットの広まりに加え、
わたしたちの暮らしの変化が存在しています。
方言の研究を専門とする田中ゆかりさんに、
そのあたりをうかがいたいと思います。
■講師:
田中ゆかり(たなか ゆかり)さん
方言を専門とする言語学者。博士(文学)。
日本大学文理学部教授。
早稲田大学第一文学部卒業後、読売新聞社に記者として勤務。
退社後、早稲田大学大学院文学研究科に入り、
その後、静岡県立大学国際関係学部専任講師、
日本大学文理学部助教授などを経て、現職。
著書に『「方言コスプレ」の時代 ニセ関西弁から龍馬語まで』
『方言萌え!? ヴァーチャル方言を読み解く』
『読み解き! 方言キャラ』『首都圏における言語動態』
などがある。
講座を受けて考えたこと
馬鹿にされ、恥ずかしいものだった方言が、だんだんと市民権を得て認められる過程、テレビの普及により、本来は方言話者だったけど、住まいの都市圏では、標準語話者として生活する人が増えたことなど、方言話者の周りからの評価、方言自体の変化について、1時間半、駆け足で説明いただきました。
方言自体が大事にされる理由の一つには、やはり、方言自体が衰退していて保護をする面があって、もともと方言話者だった私としては、わかっていたけど、ちょっと悲しい気持ちになりました。
私も元から方言話者(日常は標準語話者)で、気にしたことはありませんでしたが、インターネットの普及により、方言に関する記事が増えたこと、テレビでの方言の取り扱いが増えたことで、自分が話さない方言でも、会話に取り入れる人たちがいることを知りました。文頭や語尾に、アクセサリー的に方言を使う。
LINEのスタンプもあるそうですね。
ただ一方で、方言話者として、気になったことがあります。
疑問1:方言話者の日常のテキストコミュニケーションの変化は?
日常で方言を使う人たちのテキスト表現の実情が気になりました。
方言をテキストコミュニケーションでも使う人は、誰でも感じたことがあると思いますが、方言をテキストで使うのは結構面倒です。私が使う佐賀の言葉では、嫌いなことを「好かん」と言います。これを入力する時には、「好き」と入力して、"き"を一字消して「好」として、”かん”をつけて、「好かん」と入力します。
(今は、パソコンもスマホも変換能力が高いので、「好かん」くらいならすぐに出てきますし、何度も打っていれば学習もしてくれます)
スタンプがあるのは便利ですけど、文章や思ったことを方言でそのまま打とうとすると、やっぱりすごく時間がかかります。それに文章を行きつ戻りつしてる間に、言いたい表現が標準語寄りになって、言いたかったニュアンスが途中で消えてしまうこともよく感じます。
以前、佐賀弁のnoteを書いたことがありましたが、言いたいことがスラスラ書けずに、面倒だった記憶があります。
通常の方言話者にとって、方言のテキストコミュニケーションはどうなっているのか、気になるところです。
疑問2:大都市圏以外の地方でもアクセサリー化は進んでいるの?
方言話者ではない方がアクセサリーとして使う方言同様、もともとの方言話者も、方言をアクセサリー的に使う方が増えているという話が講義の中でありました。以前、博多に住んでいた人が、久しぶりに博多に戻ってみたら、博多弁がなくなっていたという方の話もありました。標準語に駆逐され、江戸弁が真っ先になくなるかもしれないという話もありましたね。文章や長い文脈を活用した方言の使い方が減っているのは、私の祖父母世代とも違いを感じるので感覚的にも理解できますが、これは大都市圏(講義中に出た都市だと、東京・仙台・福岡)に顕著なんじゃないかと思いました。
福岡で言えば、もともと九州各県から人が集まってくるので、九州各県で通じやすい言葉、共通九州弁みたいな言葉が、横行しています。それが、もともあった博多弁を上書いたりしているだろうことは想像できます。きっと仙台でも同じではないでしょうか。でも、例えば、ずっと佐賀にいる人たちもアクセサリー的な使い方をするんでしょうか。大都市圏と同じなんでしょうか。標準語が当たり前になって、さらに少子化が進みますが、まだ大都市圏以外の地方では、方言のアクセサリー化は進んでいないんじゃないかな、というのが個人的な感想でした。
授業の感想
こうした疑問は、講義の後にぶつけてみたくもありましたが、講義の終了時間が来てしまい、質問できず。でも方言について整理できて、いい時間を過ごせました。自分の立ち位置(もともと方言話者、日常は標準語話者。テレビが普及した後に生まれた世代)も把握できました。方言について考える時、自分の経験がすべて正しいと考えてしまいそうですが、方言について話す時、自分の立ち位置ではこう考える、という前提で話ができるようになったのは、非常によかったです。短い時間で一通り、方言について学ぶことができましたので、興味があれば、授業を視聴ください。
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