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高崎卓馬さんは、言葉の扱い方、ブラッシュアップする方法を教えてくれました #ほぼ日の學校

「ほぼ日の學校」アドベントカレンダー三日目は、CMプランナーの高崎卓馬さん

授業の概要

出会ってよかったと思える言葉をつくりたい。
高崎卓馬 (クリエーティブ ディレクター/CMプランナー)

CMプランナーの高崎卓馬さんが「おもしろいって何?」を語ってくれました。売れたらそれでいいのではなく、世界がちょっとでも良くなるように考える高崎さん。自身の中の「青年」といっしょに言葉やアイデアを生みだします。
いろんな課題をまとめて解決する企画ができるまでの試行錯誤は、考えることを仕事にする人を勇気づけます。東京コピーライターズクラブの授業、第3弾です。
公開日:2022.01.17

出会ってよかったと思える言葉をつくりたい。高崎卓馬 (クリエーティブ ディレクター/CMプランナー)

1969年福岡生まれ、早稲田大学法学部卒業後、電通入社。JR東日本、サントリー、など数々の企業キャンペーンを手がけ、TCCグランプリ、クリエーターオブザイヤーなど国内外の受賞多数。TCC会員。著書に、小説『はるかかけら』『オートリバース』、広告関連では『表現の技術』『面白くならない企画はひとつもない...

出会ってよかったと思える言葉をつくりたい。高崎卓馬 (クリエーティブ ディレクター/CMプランナー)| 講師

感想

参考になる話ばかりでした。
実は、お名前をまったく存じ上げなかったのですが、あの作品も、このCMも高崎さんでした。広告のこと、コンテンツの特徴をよくよくご存じです。仕事にしてるから当たり前でしょ、ということではありません。何かに取り組むときに自分のことを「変態」とおっしゃるくらいやってみて、分析されるから知っている。そして、想いもある。

できれば商品が売れるだけでなく、世の中がよくなるようにしたいという発言にも表れていました。「行くぜ、東北。」をの仕事をやることになった経緯を聴けてよかった。新青森駅の仕事をやられていて、それが震災でなくなった。広告の無力感を感じる中、ボランティアをしたりする中、がれきの山とがれきがなくなった更地を想像して、東北に生き続ける動機を作ることの重要性に気づく。今、広告主から広告会社に行われるオリエンテーションの機会を待ってていいのだろうか?

更地から、何かが生まれて、コミュニケーションが生まれ、産業が生まれ、出会いが生まれ、恋が生まれ…

その前には、ちゃんと東北に行く人が持続的にいないといけない。だから、そのつなぎになる言葉として、「行くぜ、東北。」が生まれたそう。
そして10年続くキャンペーンになったそうです。

よかったところ

コピーとは

入り口を決める。
向かう先を決めていく。
この広告 このアウトプットはどこに向かうのかっていうのを最初に言葉にしてこの広告 このアウトプットはどこに向かうのかっていうのを最初に言葉にして、
それをチームと共有して、クライアントと共有して、みんなが同じ船に乗るための一つ言葉を探す作業というのが大きな意味での僕のコピーの仕事で、そのあと映像を作ってその映像の まあ言っちゃうと点数をもう少し上げるというかもう少し人の心の中に入るためにはどうするかというところで
最後に考えるという二つ。入り口と出口で二つ
僕はコピーを考えてる気がします

普通の言葉とコピーの違い

普通の言葉とコピーって何が違うのかというと一番は「目的を持っている」。
なんとなく自分の中に浮かんだ何かをわしづかみするために この言葉が並んでるというものじゃなくてこの世界のこの状態を「A」から「A´」にしたいと思えば、その方向にみんなが向いてくれるようにするにはどうするかという目的があるんですね。

目的があって、目的に向かって言葉が並んでるので
広告のことを昔は「目的のある芸術」と呼ぶ人もいたんです。

「ほぼ日の水」を売るなら…

「ほぼ日の水」を売るという広告をやるときに
「喉乾いたから飲めます」
「このサイズだからちょうどいい」
って話じゃなくて、ほかの水より「ほぼ日の水」は飲むとこういう気分になれるとか、それと出合うこと、それを見つけたこと、それを飲んでる人を見たことで、なんかちょっと幸せな気持ちになるとか、そういうものをつかまえたいなというふうに思ってます

公共広告機構 のCM 『黒い絵』こちらの作品のことはよく覚えています。

最初、感動したものの、ちょっと作為的だと感じた気がします。それに実際にずっと黒塗りする子がいれば、それはきっと疾患があると認められるだろう。でも… それだけじゃないし、実際に相手の想像力を奪っていることはあるでしょ!

高崎は想像力が大事と言います。隣にいる人の気持ちを、具体的じゃなくても、ちゃんと想像しないといけない。自分とは違う世界を持っている人をリスペクトしよう。

そして、高崎さんの言葉の扱いはすごく丁寧で、広告をやる人がそう考えてくれているというのは、すごく安心できます。自分が、社会に公開する文章にそこまで真摯に向き合っているかというと怪しい。

同じ言葉を人はどうとらえるか?

デリカシーを持ってやらなきゃいけないなとすごく思うんです。
これに対して答えはないんですけど例えば広告で「あなたはスリムで美しい」と言う。
ここにいるAさんを幸せにしようと思って言ってる一言なんだけど、
僕はこのAさんに向かって言ってるんですけどAさんに向かって言ってるのをここで見てるBさんが「じゃあ スリムじゃないと美しくないってことですか」と言う。
僕はそんなこと思ってないんだけど、Aさんに対して言ってることでも、Bさんを傷つけちゃうことがあってそういうちょっと怖い道具だなという自覚はあります。

言葉を触るってけっこう危ないことだな、という気がします。
自分が発した言葉が、自分が書いた言葉が、どこかで知らない誰かのものになって、自分の意図したものと違う形で、傷つけてたりとかする、傷ついたりとかする。
それは違うんだと後に分かっても、そこには傷が残るってことはあるので、それをどうしなきゃいけないってことじゃないですけど

言葉の重み

オリエンテーションが来て
「こういうことをやってください」
「キャッチコピー考えてください」
と言われて考えると、やっぱり薄いんです 軽いんです。
普段から物を考える。何か面白いなと思ったら、なんで面白いかを考える。

それはどうしてなのかを言語化する、というのを繰り返していく。
それが思考の筋肉だと思うんです。

まだまだまだ、いい話はたくさんあるんです。
仕事で、イベントタイトルをつけたり、記事タイトルをつけたり、製品・サービスのキャッチコピーを考えることがあります。だから、高崎さんのこのお話には、絶対戻ってくると思います。

すごくいい話でした。日々、言葉を使う筋肉を鍛えていく気がおきました。ありがとうございます。

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