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【短編小説】弓張の月 第6話(全8話)
とおる君はキャラメルラテのカップを両手で持って、手を温めてから、フーフーして飲み始めた。私も同じ仕草で同じものを飲んだ。それだけでドキドキした。キャラメルラテは甘く、でもほろ苦かった。
「ピンクの満月もあるんだよ」
「お月さんがピンクになるの?」
「そうじゃないけど、4月の満月のことをピンクムーンというんだよ。その頃にはお互い大学生かな」
「私、受験勉強、頑張らないといけない。とおる君はどこ受けるの?」
「俺は弓道で推薦もらってて、だから今は後輩の指導をしてる。でも、受験で合格した人に差がつかないように赤本で勉強してるよ」
すごい。もう大学が決まっている。それなのに勉強もしてる。
「9月にはここのマックに月見バーガーがあったから、よく食べたよ」
とおる君は本当にお月さんが好きなんだなぁ。
マックにいる時間は何を話したのか、ただ私は「はい」としか返事をしていなかった気がする。
「もうそろそろ帰ろうか。勉強あるんだろう」
勉強なんかない、と言いたかった。あと少しだけ、と言いたかった。マックのドアがあかなければいいと思った。でも、返事をしなければ。
「はい」
店の外に出た。風が冷たい。慌ててピンクのマフラーを頬まで持ち上げた。とおる君が教えてくれた冷たい月、コールドムーンを見上げた。とおる君も見上げていた。
「やっぱり、外は寒いね。月が凍ってるかもな」と、笑いながら話すとおる君の横顔をじっと見ていた。
「由美さん、外は明るいね。もうクリスマスムードだよ。クリスマスイブも勉強かな」
「勉強なんかない!」と言いたいのに、「はい」としか言えない。
「学校帰りでもいいから少しでも会える?」
え?誰が誰に言っている言葉なの?ぽかんとしたまま、とおる君の顔を見ていた。
「だめかな?」
「いえ、大丈夫」
勇気が出た。絵里奈が教えてくれた。別れることも付き合うことも勇気だと。
「ありがとう」
ありがとうを言うのは私の方だよ。
「ライン、交換しておこうか」
忘れかけていたラインのことを、急に思い出した。嬉しいのに、ためらってしまった。勇気だ、勇気。忘れることも勇気なんだ。絵里奈、ありがとう。
「どうしたの?無理?」
勇気を出した。忘れる勇気とつながる勇気を。カバンからスマホを取り出した。慌てていたから、手作りした熊ちゃんも一緒に出てしまって、歩道にぽとりと落ちた。とおる君が拾ってくれた。
「これ、由美さんが作ったの?めちゃ可愛いね」
「え、良かったらあげます」
勇気が出た。とおる君はその場で通学バックにつけてくれた。射場で一緒にいた女子に叱られるのでは、と思った。でもそれは言えなかった。スマホの指紋認証をする指が震えているのがわかった。
「寒いけど、大丈夫?」
見ていたんだ。私の指が震えていたのを。
「はい、これ。私のラインのQR」
とおる君は自分のスマホを私のスマホの上に乗せるようにして、QRコードを読み取った。息が詰まるほどドキドキした。スマホなのに手が重なっているようだった。
それから小田原の駅までどう歩いたかの記憶がない。電車の乗った時、ラインがきた。とおる君だ。「今日は受験勉強の邪魔しちゃってごめん。24日、楽しみにしている」
すぐ返信ができなかった。何を書いていいのかわからなかった。ずっととおる君からのメッセージを見ていた。車内にアナウンスが流れた。次の駅で降りなければいけない。「ありがとう」と文字を打ったら、熊さんがありがとうと言っているスタンプが出てきた。そのスタンプを送信してしまった。
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