江戸城外堀膝栗毛十編:竹橋~水道橋の巻 2023.4.22
江戸城の外堀周辺を歩くこと10回。今回で最終回。
しかし外堀の終わりの地点、ゴールをどこにするかはハッキリと決めていなかった。
今の日本橋川が水道橋の神田川と合流するから、そこでいいかなと漠然と思っていたけど、家にある『大江戸古地図散歩』を読み返していたら堀が途切れている箇所が載っていた。
よし、ここをゴールとする!
この記事を書くにあたって、AIアシスタント機能を使ってみたけど、竹橋近くにある明治神宮云々~とあって速攻削除。
てなわけで、竹橋駅からスタート。
2番出口から地上に出たら目の前に和気清麻呂像。
まったく存じ上げないので調べてみる。
銅像の前に震災イチョウがあってこれは案内板がある。
それによると関東大震災で地域一帯焼け野原になったのにこの木だけ生き残りここに移植されて今に至る。
樹木にパワーを感じるタイプではいけど、老木は独特の存在感がありますな。
内堀通りを歩き、平川門の近くに江戸城築城の碑がある。虎ノ門の石垣の一部が積まれている。
通りの向かいにはパレスサイドビルディング。
特徴的な白い円筒は高さ50mもある。
日本橋川で一ツ橋門石垣跡を横から眺め、錦橋を渡って神田警察通り沿いにある博報堂旧本社跡地をチェック。
今はテラススクエアというオフィスなどが入った複合施設だが、その一角に旧本館の外観を復元している。こうやって残してくれているだけでも有り難いです。
近くの学士会館が日本野球発祥の地らしい。
ここは東京大学発祥の地でもあり、前身の開成学校が創設された場所で、明治5年(1872)アメリカ人教師が野球を教えたのが始まりだそうで。
僕は物心ついたときから近鉄バファローズファンで、2000年あたりは年1回以上は球場で観戦していた(主にマリンスタジアム)のだが、2004年に近鉄がまさかの消滅…
それ以降どこか別の球団のファンになるわけでもなく、プロ野球はまったく見なくなり、今はたまにMLBを見る程度。
今回のWBCも見ていないのです…
閑話休題、記念碑の前に先客の家族連れ3人組が記念撮影していたので順番待ちをしていたら、どうやら3人で撮りたがっている様子。なのでこちらから声をかけて写真を撮ってあげた。
お返しで自分も撮ってもらったのはいいが、碑オンリーの写真を撮り忘れた…
結構大きな記念碑ですな。
碑のある学士会館とその向かいにある共立講堂、そしてさっきの博報堂旧本社が神田地区の代表的な歴史的景観らしい。
雉子橋から竹橋を渡り、再び皇居周辺へ戻ってくる。
ゆるやかな紀伊国坂沿いには東京国立近代美術館、国立公文書館がある。
北の丸公園へイン。
まずは東京国立近代美術館分室を見に行く。
分室の前にまた銅像。皇居周辺は銅像天国だ。
北白川宮能久親王銅像。
北白川宮能久親王は幕末・明治の皇族で、陸軍軍人。
東京国立近代美術館分室は1910年に建設された近衛師団司令部庁舎。赤レンガが格好いい国の重要文化財。
園内を歩き、科学技術館を撮る。
今回色んな施設へ行くも全て中には入らない…いつかまた来るときの為にとっておこう…
グーグルマップを見ると公園内にアメダス東京とあるので何があるのか気になり行ってみると、柵に囲われた何かがある。アメダスと書いてなかったけど多分これっぽい。
吉田茂像の前を通って、清水門から公園を出る。
清水門は防御のため、石段のひとつひとつが大きくて非常に降り(上り)づらい…門の通路もコの字に曲がっている。
清水門を出てすぐにある千代田区観光案内所でマンホールカードを貰う。
鉄腕アトムがデザインされたマンホール。
アトムは作中、お茶の水エリアに縁があるからデザインされたらしい。
ついでに貰った千代田区の総合観光ガイドブックが読みごたえあって面白い。
こう見えて、事前に散歩に関連する本を読み漁るタイプです。
観光案内所から2つ先の建物が九段会館テラス。
1934年(昭和9年)に軍人会館として建てられた九段会館だったが、東日本大震災で天井崩落事故が起きてしまう。
去年建物の一部を残して新たに九段会館テラスとしてオープン。よかった。
日本橋川沿いを歩いて外堀のゴール地点と決めた場所、新川橋にたどり着く。
これにて江戸城外堀膝栗毛終了。今回も見どころだらけで楽しかった。
闘魂ショップへ立ち寄って水道橋駅にて今回の旅終了。
<本日の行程:5.57km>
次回の膝栗毛はすでに決めてある。
都営新宿線沿線膝栗毛!
乞うご期待。
<全体マップ。総移動距離は62.9kmでした>