48という数字のもつ意味
48週。
1ヶ月はだいたい4週間、1年は12ヶ月なので、48週が過ぎたということは、だいたい1年間過ぎた、ということにもなります。
今回のnote更新で、48週連続で更新することになるそうで、それはつまり、この1年間ずっと毎週更新をしてきた、ということになります。自分にとっては、かなり継続できたほうだなぁ、と。自分に甘いので、こんな自分でも少し褒めてあげようかと思います。今週が終わると、2021年もいよいよ折り返し地点ということもあり、色々と区切りの良いところまで進んでくることができました。
たかが1年、されど1年。毎週更新してきて真っ先に思ったのは「週刊誌の仕事って大変だな」ってことです(唐突)。
隔週刊ではありましたが、2020年に惜しまれつつ休刊となったテレビブロス(TV Bros.)という雑誌が自分は好きでした。敬愛するミュージシャンのコラムが読めたから、という理由ではありましたが、コラム以外にも様々な特集記事やグラビアページなど、若年層の心をくすぐるには十分すぎるくらいのボリュームで、毎号楽しみに拝見しておりました。
そのブロスのコラム。隔週ということは2週間に1度、コラムニストの方々は何らか原稿を書き上げなくてはいけません。人によって異なるでしょうが、字数の規定があったり〆切があったり、様々な制約を課されたうえで、2週にいっぺんのルーティンワークをこなさなくてはならない。当時、読者であった自分からすれば「今回も面白かったなぁ」などと思うだけだったのですが、ここまでnoteを書いてみた後に振り替えると、その作業の大変さが少しわかってきたように思うのです。
コラムニストの方々に比べて、自分のnoteはこれといった制約も無く、その時その時に思った感じたことを徒然なるままに書き連ねていったのみであり、あえて"ツラいこと"を挙げるとするならば「毎週記事を書く」ことぐらい。冷静にこう見ると、職業として仕事として「書くこと」を捉えるというのは、決してラクではないよなぁ、と思うのです。
少し古いですが、ノマドワークというものが流行りだした頃、場所を問わない働き方の一つとしてフリーライターが注目された瞬間があり、その時は自分も漠然と「自由気ままで良いなぁ」なんて思っていました。が、自由と責任はワンセット、とはよく言ったもので、良いことばかりでない、というのはこのnote連続更新の経験から、身に染みて実感するところ。
一足飛びに「ノマドだ!フリーランスだ!」と踏み出していたら、と思うと恐いくらいです。思い切りも時には必要ですが、無謀な、無茶なリスクを冒す必要はありません。が、準備をしておくことは大事です。
前回の記事で触れたユーゴスラビアの著名人に1人、イビツァ・オシムさんという方がいらっしゃいます。その方の言葉の中で好きなものが一つ、
「ライオンに襲われた野ウサギが逃げ出すときに肉離れしますか?」
という言葉があります。
言葉の意味について考察することはここでは避けますが、準備しておくことは大事、ということを書いたとき、思い出したので引用しました。フリーライターになるための準備では決してありません。が、自分の言葉で何かを発信したり、アイデアを発信したり、アウトプットするスキルを持っていることは、これから先、全く無駄では無いと思います。
いま、何かを始めようとは思わない。まして、この混沌とした情勢においては。
そう考える人も少なくないと思いますし、どちらかといえば自分もそっちよりの思考です。でも、だからこそ、できること、手に取れることから準備をしていく方が良いのでは、とも思います。自分にとっては、その一つがこのnoteであったわけで、一度始めてそしてここまで続いているのですから、もう少しだけ、続けてみようかな、なんて考えています。noteさん、これからもよろしくお願いします。