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Day③-1 ベツレヘムから「命の保証はない」都市ラマッラへ

異教徒に見えない壁

ここ数日、目覚ましが要らない。
今朝も目が覚めたのは5時半頃。
外はまだ薄明かり。
普段なら絶対に二度寝する時刻。

そういえば、ベツレヘムの象徴・
聖誕教会は早朝からやってたっけ。
小雨がぱらつく中、6時台に出かける。
昨日の喧騒はどこへやら。町は車がたまに通るくらい。
歩く人もパラパラしかいない。
教会入り口にいるおじさん、
中へ行くよとジェスチャーすると
どうぞと勧めてくれる。

茶室みたいな低くて小さな入り口をくぐると、
目に飛び込んできたのはきらびやかな祭壇。
昨日すんごい列ができてた
キリスト生誕の場所へは、まだ誰も並んでいない。

聖誕教会の入り口は写真中央の小さな黒い四角形
入り口の高さは1メートルくらいかな

勧めに応じて近づこうとすると、
脇にいた着替え途中の聖職者が
大声でまくしたてる。
その先に進んではいけない。
3時間後にオープンするからそのときに来い。
そうか、キリスト生誕の場所は
時間が早すぎるからまだ無理なのか。
会釈をして、また少し立ち止まり、
しばらく遠くから祭壇を眺める。
荘厳な光を体全体で受け止める。
すると、聖職者がまた怒鳴る。早く出ていけと。
 
どういうことだろう。
祭壇付近には、欧米系の人の姿。
僕と同じタイミングで入って来た人も
次々と祭壇方面へ歩みを進める。
彼らは決して、止められることはない。

…そういうことね。
今日は日曜、ミサの日。
朝っぱらから異教徒のアジア人が
写真を撮りながら祭壇に近づこうとする。
神聖な場所にズカズカと。
排除されて当然か。失礼しました。

早朝から始まるミサに集まり始める人たち

ホテルに戻る。朝食を食べよう。
シェフは一人でオムレツを焼いている。
この人がアフマドが昨日言うてた
耳が聞こえない腕利きのシェフか。
そのシェフ、身振りで質問してくる。
玉子はどう調理する?
じゃあ僕もオムレツくださいな。

その他は質素。
ぶつ切り野菜とパンケーキ、ハム、チーズ、フルーツ。
オムレツも焼けたよ。シンプルな塩味。
オムレツというより、平べったい玉子焼き。
この質素な朝食を
より一層楽しむ方法はないものか。
そうだ、温かいオムレツの上にチーズを乗せれば…。
1✕1=3くらいになりました。

オムレツに薄くスライスしたチーズをのせると美味しさは3倍に

「命の保証はない」町へ

今日は、午前のうちにベツレヘムを発ち、
ラマッラへ日帰りすることに決めた。
パレスチナ自治区の政府機関や
各国の在外公館などが集まる実質的な首都。
そこにあるアラファト議長のお墓を見ておきたくて。

昨夜アフマドと話す中で、
バスターミナルまで送ってくれると言ってたっけ。
ホテルの受付台には、知らないおばちゃん。
アフマドはどこ?
荷物を置きっぱなしにておきたいし、
ホテルの延泊とか確認したいんだけど。
「支払いはカードもできるよ」
そうじゃなくて、アフマドを探してるんだ僕は。
彼ならまだ寝てるよ、たぶん。
確かに、アフマドとやりとりするために
インストールしたWhatsAppにも返信がない。
まあ、いつかは返信があるだろう。

外は雨。
一人で「セントラルバスターミナル」に行ってみる。
ターミナルビルみたいなところに
複数の大型バスが並ぶ。
運転手らしきおじさんに聞くと、
このバスはツーリスト用。
ラマッラ行きのバスなんてないよ。
ラマッラに行くなら乗り合いタクシー
「セルヴィス(service)」で行くんだと。
ターミナルビルから見下ろしたところの駐車場に、
全面黄色塗りのセルヴィスがたくさん!

セルヴィスの行き先は一目では見分けがつかないので とにかく聞きまくる

どれがラマッラ行きなの?
何の表示もないので、見分けがつかない。
ベンチにいた兄ちゃんに聞く。
するとたまたま通りすがった
知り合いのタクシーのあんちゃんを指差す。
スペシャルタクシー!(日本でいう普通のタクシー)
…No Thanks.
タクシーは高いし、こういう旅には合わない。
セルヴィスがいいのよ、僕は。
丁重にお断りすると、
そのタクシーのあんちゃん、
指で拳銃を作り、僕に一発かまして去っていく。

セルヴィス乗り場には、
お腹が大きく膨れたおじさん。
彼もラマッラに行くっぽい。
言葉は地名以外全く通じないけど、
ジェスチャーで案内してくれる。
乗り場の売店で売ってた3シェケルの
アラブコーヒーを片手に、いざラマッラへ。

つづく

この記事は、30代のテレビ番組制作者である筆者が、ガザでの戦闘開始から遡ること半年前の2023年春、イスラエルとパレスチナを一人旅したときに書き留めたノンフィクション日記です。
本業では日々のニュースを扱う仕事に関わり、公正中立を是としていますが、この日記では私見や、ともすれば偏見も含まれているかもしれません。
それでも、戦争・紛争のニュースばかりが伝えられるこの地域のリアルを少しでも感じてほしいと、自身の体験や感情をありのままに綴ります。
いつかこの地に平穏が訪れ、旅行先として当たり前の選択肢となる―。
そして、この日記が旅の一助となる日が来ることを信じて。

TVディレクターのおちつかない旅 筆者


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