見出し画像

Day①-4 エルサレム 花の金曜と祈りの濃淡

「シャバット」徹底的に働かない日

今夜のホテルにチェックイン。
預けていた大きな荷物も無事にピックアップできた。
そして、部屋はフロントがある建物にはなく、
1軒隣の別の建物にあるらしい。
212の鍵を持って部屋へ。エレベーターはない。
こっちの2階は、日本で言う3階。
部屋につながる廊下が暗い。
オートロックじゃないアナログな鍵なので、
いつでも誰でも部屋の前まで入れちゃう。
鍵を左に回す、開かない。
次は右に回す、開かない。
左へ右へと格闘すること2分。
…開いた。

ホテルか住居か見分けがつかない外観
異様に高いベッド・シャワー・キッチン スタジオタイプの部屋

部屋は、…ホテル?
ワンルームマンションやん、これ。
6畳弱の部屋。流し台に電子レンジ、ポット。
寝床は、普通サイズの二段ベッドの上段より
さらに高いくらいの場所。急な梯子で登る仕組み。

トイレには、紙がない。
タオルは、地べたに直に置かれてる。
…何か芳しいところに来てしまった。
これで1万3000円ですよ。朝食なしで。
アクセスはいいんだけどね。
とりあえず荷物を置いて立て直そう。

シャバット(安息日)に入ったユダヤの街は休眠状態で、
もう回れる所はないだろうから、
この後はキリスト教かイスラム教ゆかりの場所を巡ろう。
トイレして、紙がないから、そのままシャワーを浴びた。

時刻は午後4時。
この部屋を選んだ一番の理由であるテラスに出て、
売店で買ったイスラエル製のビールをいただく。
美味い!贅沢な30分間。

景色の大部分をトイザらスが入る石造りの建物が占拠

「シャバット」とは、ユダヤ教徒の安息日で、
金曜の日没から土曜の日没まで、一切の労働が禁じられる。
その解釈の程度は人それぞれだそうだが、
電化製品のスイッチを入れることすら「労働」だとして
控えている人がいるんだとか。
「シャバットエレベーター」なるものもあり、
これは、行き先階を押さなくてもいい代物で、
全自動で全フロアを行き来できる。

こうした徹底的に働かない安息日が、
ユダヤ教徒には毎週訪れる。

さて、再び向かう旧市街。
さっきまで走ってたトラムも、営業終了の文字。
徹底してるねこの感じ。路面店はほぼ閉店。
旧市街までの道中、開いてたのは売店2軒くらいか。
でも、旧市街に着くとまだまだ営業してた。
ユダヤ教徒じゃなければシャバットする必要もないもんね。

シャバット(安息日)には店も路面電車も徹底して休む 人もまばら
新市街と旧市街の境目にあるショッピング街もきっちり閉店
聖墳墓教会の入り口は簡素で飾り気がない

信仰を問わず震える場所

午後5時30分を回った。
夕暮れ前の薄暗さの中、キリスト教の聖地「聖墳墓教会」へ。
教会は、イエス・キリストが磔(はりつけ)の刑に処せられた
「ゴルゴダの丘」があったと考えられている場所に建つ。
イエス・キリストゆかりの場所だらけの聖地だ。

中に入り、さっそく目に飛び込んできたのは、
十字架から降ろしたイエスの亡骸に
聖油をかけたとされる場所。
誰もがその場にひざまづき、置かれた石板を撫でる。
自ら持参した聖油をかけ、塗り込んでいる人もいた。
入口すぐの場所で、すでに荘厳な雰囲気。

石板は大理石製 撫でる人の姿が絶えることはない

そこからすぐの急階段を上りたどり着いたのが、
イエスが処刑されたという場所。
無数の小さな照明に彩られ、ただただきれい。荘厳。
この場所に触れられるということで列に並び、順番を待つ。
当該の場所はすごく狭い。みんな身をかがめて入り、十字を切って祈る。
そうだよね、祈りの対象がここで命を落としたんだもの。

いよいよ僕の番。
カトリック系の幼稚園に通っていた僕は、
当時の教会で習った記憶の通り十字を切り、
穴の中に手を突っ込む。
ツルツルになった石の感触。冷たい。
信徒にはひとしおの場所なんだろう。
 
その先には、細いロウソクが無数に並び、
視界のさらに奥にはキリストの肖像が。
…ああ、何か震えた。なんだかわからんけど、下半身が震えた。
信徒じゃなくてもそうさせる何かがあった。

中央の祭壇下に銀の輪がある そこがイエスが処刑されたとされる場所
聖墳墓教会はキリスト教の複数の宗派が共同管理する
壁には無数の十字架 古代の人が手彫りしたものか

そういえば、その処刑された場所に
僕が並び始めた直後にやってきたアジア人の集団。
30人くらい。
後ろから圧が強い。気づけば4人に横入りされてた。
なんだろうな、この感じ。聖地だから怒らないよら僕は。
でもお行儀が悪い。
いつも以上に騒がしかったのか、
聖職者が来て静かにしろとたしなめてた。
彼からは、きっと僕もその一味に見えるんだろうな。
同じ東アジアの人間として、ちょっと恥ずかしい気持ちになった。

ちなみに、この聖墳墓教会、
キリスト教のいろんな宗派が共同管理しているそうで、
各礼拝所や聖堂などを区画ごとに分担して管理。
でも、教会の門扉は、所有権を各宗派で争っているらしく、
その開け閉めはムスリムの限られた人々が
代々担ってきているんだとか。

聖地の中のさらなる聖地

さらに歩みを進めると、
イエス・キリストの墓とされる場所に到達。
面積的にはそんなに広くないはずだけど、
天井が高いからなのか、異様に広く感じる。
中央には、墓を取り囲む立方体の頑丈そうな構造物があり、
どうやら、この中に入ることができるらしい。
しかし、すでに優に100人を超える人が列をなしているので、
今回は諦めて周りから見学させていただこう。

燭台や肖像、何もかもが圧倒的な存在感を示す。
イエス・キリストの墓―。
世界中で20億人以上から信仰を集めるこの方も、
人の子なんだよな。墓はあるよね。
でもそんな人の墓に容易く近づくことができることも、
よく考えたらすごいこと。 

イエスの墓がある内部には数人ずつが入れ替わりで入る
イエスの墓を取り囲むように世界中からの巡礼者が列をなす

「マリア」。
一人が発したこの言葉に呼応して、
周りの人も同じ言葉を繰り返す。
その言葉は、聖堂全体にこだまする。

祈り―。
国境や人種を超えた共通言語。共通の無意識。
 
この空間と時間、何やらすごみすら感じた。
ありがとうございました。

聖墳墓教会を出るとすっかり夜に

すっかり暗くなったエルサレムの街。
あたりを付けてたバーでビールを飲もう!
…あかん、閉まってる。
シャバット中の金曜夜でも営業してるって
ガイドブックには書いてたのに。
コロナ禍も経て、状況は変わるよね。

それにしても、ほんと、店がやってない。
パラパラ人はいるけど。

飲食店が集まるエリアも徹底的に閑散
シャバット中にようやく見つけた営業中のバー

祈りの夜に

夜道をさまよい、見つけたバー。
21時まではハッビーアワーらしく、
一杯頼むともう一杯飲めるって。
カウンター席でいただくイスラエル産のペールエール。
美味い。癖がない。

横の席はイタリア・ミラノから来た家具職人。
イスラエルには仕事で来ていて、まもなく自宅に戻り3日間。
その後は中国・上海に行くって。さらにその後は米・ダラスへ。
口数の少ないナイスガイ、50代。15歳の息子がいるって。
世界を股にかけ、忙しく働く父を、
息子はどんな眼差しで見つめているんだろう。
 
バーカウンターの中では女性2人がキビキビと働いていた。
一人はソバージュ。
みんなよく見ると、中世の壁画に出てくる人に似てるよね、どことなく。
この人たちの祖先がそのモデルだもんね、たぶん。
目の前の生身の人間から感じる人類の歴史。
 
ユダヤ教の聖地・嘆きの壁から聖墳墓教会まで
今日一日かけて感じ続けた人々の祈り。
ただひたすらに祈る人たちの姿。

翻って、僕には圧倒的に祈りが足りないのだろう。
日頃、祈るということを考えることもない。
どうしたらいいのか、正解はわからない。
すぐに答えが出るものではないだろう。
でも、みんな誰かの、何かのお陰で生かされてる
っていう感覚があるんだろうな。
宗教を越えて、これは一つの真実なのかも。

つづく

この記事は、30代のテレビ制作者である筆者が、ガザでの戦闘開始から遡ること半年前の2023年春、イスラエルとパレスチナを一人旅したときに書き留めたノンフィクション日記です。
本業では日々のニュースを扱う仕事に関わり、公正中立を是としていますが、この日記では私見や、ともすれば偏見も含まれているかもしれません。
それでも、戦争・紛争のニュースばかりが伝えられるこの地域のリアルを少しでも感じてほしいと、自身の体験や感情をありのままに綴ります。
いつかこの地に平穏が訪れ、旅行先として当たり前の選択肢となる―。
そして、この日記が旅の一助となる日が来ることを信じて。

TVディレクターのおちつかない旅 筆者

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?