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Day②-3 ベツレヘム 仄かに漂う紛争の臭い

パレスチナでちらつくイスラエルの影

エルサレムのバスターミナルを出発し、
日本で言う高速道路のような道をひた走る。
視界の左右に広がるのは
むき出しの土と草木、
そして斜面にしがみつくようにして建つ住居。

エルサレム周辺は起伏が多く 斜面に建つ建物を多く目にする
 エルサレムからベツレヘムまでは南に10㎞ 約30分で到着
点線を挟んで西側がイスラエル、東側がパレスチナ ©Google

ふとスマホで地図を確認すると、
そろそろパレスチナ自治区の
「ヨルダン川西岸地区」に入るみたい。
境界を越えるには、
イスラエルによる厳しい検問が待っているのか?
身構えながら外を眺める。

…何の検問もチェックもなく、あっさり越境。
ていうか、いつ境界を越えたのかもわからない。
そして、パレスチナ側に入ったからといって
景色がガラッと変わるわけでもない。
ちょっと拍子抜け。

ちなみに、自治区と言っても
パレスチナが領域内を完全に統治できているわけではない。
現状では、大半の土地で、
イスラエルが大きな影響力を持ち続けている。

パレスチナ自治区は、
「警察権」と「行政権」をどちらが担うかで
「3種類」に分類される。
詳しくは別の章でまとめるが、
大まかにはこういうことになっている。

認定NPO法人「聖地のこどもを支える会」 2017年のコラムより

A地区(濃い茶色):警察と行政いずれもパレスチナ
B地区(薄い茶色):警察はイスラエル、行政はパレスチナ
C地区(白い部分):警察と行政いずれもイスラエル
ヨルダン川西岸地区の約6割が「C地区」
 パレスチナ側の居住区を分断するように広がり、
 パレスチナ人は移動の自由もままならない。

日常に潜む暴力の足音

ベツレヘムに到着。
バスから降りる。ベツレヘムはひと目にアラブの町。
これこれ!生きてる実感が沸き立つ町。
町が騒がしい。
狭い道に人がひっきりなしに行き交う。
露店に並ぶフルーツにスイーツ。
何かの肉を串刺しにしたやつを焼いたりも。

アラブの香りが漂うこの町だけど、
イエス・キリスト生誕の地と伝えられる
れっきとしたキリスト教の聖地。
このアンバランスがたまらない。

ベツレヘムに溢れるアラビア語 目にする大半がアラブ系の人たち

新たな町に到着し、テンションが上がる一方で、
現実も目の当たりに。
露店でおもちゃを売ってるのを見ると、
男の子のは大概「武器」なの。
機関銃とか銃剣とか。まあまあ種類も豊富。
おまけに、Tシャツのデザインも自動小銃だったり。
子どもは無邪気。でも知らぬ間に子どもたちも
自分たちが置かれた状況を少しずつ理解していくんだろうね。
…ちょっと考えすぎ?

Tシャツの胸ポケットにも自動小銃

ホテルまで、気づけば20 分くらい歩いたかな。
起伏が多かった。ようやく到着。
支配人はアフマド、ナイスガイ。

日本人にはお世話になってる。
お金もそう、警察の教育もそう、
いろいろ支援してもらってて感謝してると。
そして、このホテルは障害者雇用に力を入れていて、
シェフ、ベッドメイク、ガーデニング、工芸品づくり、
全部アフマドが主導して
雇用した障害者の研修や教育をしたんだって。

アフマドが運営するホテル 障害者雇用にも力を入れる

一方で、イスラエル人は何もしないし
障害者も容赦なく暴力の対象にするんだって。
友人もエルサレムの学校に向かってるときに
イスラエル人に撃たれたって言ってた。

僕らツーリストには気づかない、
イスラエルとパレスチナの本当の顔、そのほんの一部。
確かにこんな東アジア顔の僕は見分けがつくから、
そもそも暴力の対象にならないのか?
ある意味で守られた存在だから、
そう言われてみたいと気づかないんだろうか。

いろいろ聞きたかったけど、
僕の顔に疲れが出てたのを察して
部屋へ案内してくれた。
しばらくして響くノックの音。
デーツを持ってきてくれた。
嬉しいね、人の優しさ。
 
知らない町で、
知らない景色と知らない情報を
ひたすらに浴び続けるこの旅。
ほんと疲れたので、ちょっとだけベッドで横になる。
明日はどうしよう。
アラファト議長が眠る町、ラマッラが気になるな。
ウトウトしながら浅い眠りにつく。

つづく

この記事は、30代のテレビ制作者である筆者が、ガザでの戦闘開始から遡ること半年前の2023年春、イスラエルとパレスチナを一人旅したときに書き留めたノンフィクション日記です。
本業では日々のニュースを扱う仕事に関わり、公正中立を是としていますが、この日記では私見や、ともすれば偏見も含まれているかもしれません。
それでも、戦争・紛争のニュースばかりが伝えられるこの地域のリアルを少しでも感じてほしいと、自身の体験や感情をありのままに綴ります。
いつかこの地に平穏が訪れ、旅行先として当たり前の選択肢となる―。
そして、この日記が旅の一助となる日が来ることを信じて。

TVディレクターのおちつかない旅 筆者


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