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子どものいない人生だとしても

先日、出席したミサの中で幼児洗礼式がありました。

そんな素晴らしい場面に立ち会えたのに、帰る途中、何故か心が沈んでいる自分に気付きました。


その一週間ほど前にも、とある動画チャンネルの配信者ご夫妻が待望のお子さんを授かったことがわかった、

との動画を拝見していました。


もちろん、感動しましたし、純粋に祝福したい気持ちもありました。

ですが私には子どもがいません。

7年間の結婚生活で授からなかったのです。


そのことで、どこか自分が不完全な存在のような気がしていました。

お子さん連れの方を見ると、特にその気持が強くなり、惨めな虚しい気持ちで心が溢れかえっていました。


でも、ふと思いました。

私はただでさえ重荷の多い人生を歩んできたのです。

持病がたくさんあったり、家庭が機能不全家族だったり、
家にもどこにも居場所がなくて、常に生き辛さを抱えて生きてきました。


まあ、言ってみれば子育てに向いてないタイプの人間なのかもしれません。

こなに繊細だったら、きっとママ友付き合いなんて無理だし、
元々の無理してしまう性格が災いして、もしかしたらさらに持病が増えたり悪化してしまうかもしれない。。。


そんな私に子どもを授けるのは、私には酷だと神様が思われたのかなあ、

なんていうふうに思いました。


なので、もしかしたら子どもを持てない人生も、神様のおはからいで用意されたのかなあ。

そう思えば、ある意味それも神様が私を憐れんでくださったのかもしれません。


なので、ネガティブなことを考えるのはやめにしました。


こんな日には、「来なさい重荷を背負うもの」が身に沁みます(⁠ ⁠◜⁠‿⁠◝⁠ ⁠)⁠

大好きな曲です。


イエス様、子どものいないことで私が自らの境遇を嘆かず、朗らかに生きていけるよう、
どうぞ私を強めてください。

***


今日はちょっとネガティブな内容の記事だったかもしれませんが、

お読みいただきありがとうございました!


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