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醸化する音楽会体験記 〜五感でのクラシック体験、そして少し未来のデジタル体験

落合陽一×日本フィルプロジェクト VOL.5《醸化する音楽会》。2021.8.11に参加した観戦記。五感で生の体験を感じることの意味、そして、生では無いデジタル体験は少し未来にどうなるべきか。

■なぜ今、生のコンサートに行ってみたか?

東京はオリンピックもリアルには見る事もできず、緊急事態宣言の最中。withコロナの今、なぜ、私は生のコンサートに行ってみたのか?

私という人物の現状としては、東京在住でコロナ禍になってから旅行もせず、過度では無いがまあまあ自粛しているタイプ。
音楽は好きだが、90年代JPOP育ち。好きなアーティストのライブも、ここ10年くらい行っていない。クラシックについては、小学校の時にピアノを習っていたくらいで、クラシックコンサートには行ったことがない。
現代アートは好きなので、直島やトリエンナーレみたいなのは好き。

そんな私が、初めてクラシックのコンサートに参加しようと思ったきっかけは、WEEKLY OCHIAIの「生の体験をどう取り戻すのか」の回を視聴して。

これからアフターコロナの少し未来を考える上で、半歩先の生の体験をしたくなったからである。

■醸化する音楽会の体験記

感想を述べると、現代アートとして楽しめた。

クラシック音楽という聴覚に、映像の視覚を合わせ。音楽に合わせた嗅覚のワークショップに、味覚、触覚をグミで感じる。「五感、解禁。」というコンセプトの通り、五感で楽しめた。
そして、それをサントリーホールという素晴らしい会場の雰囲気を空気感で感じ、クラウドファンディングのTシャツに身を包む事で、気軽な格好で参加できた。
また、事前のセトリ解説により、頭でも曲の背景、構成を理解する事ができた。これはクラシックを楽しむ上で重要である。私の考えは現代アートの本質は「体験」であり、クラシックアートは「思考」が必要である。
これらにより、生の体験で五感に加え、第六感でも現代アートとして体験できたことは、今回の価値であったと考える。

■デジタルの体験で生の体験に勝るには?

最後に、少し未来のデジタル体験を考え、生の体験に勝てるのか?勝つにはどうしたら良いかを考えたい。

今回、生のコンサートの他にオンライン配信があった。クラウドファンディングのメニューにもあったが、家で獺祭を飲みながら交響曲獺祭を聴くのはオツなものだろうし、シャンパン・ポルカではお酒で対比して楽しむのも良い。家の環境にもよるが、良い画面で大きく見えたり、スピーカーやヘッドホンもこだわりのもので聴けるかもしれない。
しかし、これらはオンライン配信とはいえ、人が体験するときは、リアルに変換された信号として感知しているものである。落合陽一氏にいう、質量を持った体験である。

では、デジタル体験として、質量を持たない、ニュートリノ体験を目指す価値はあるのではないだろうか? (ニュートリノには微かに質量あるんですけど)
一つは、「繋がる」であろうか。アーティストと、見ているファン同士、そして一緒に見たいと考える大切な人。ニコニコ動画のような祝祭性のような形も一つの価値であろう。

デジタルの本質は、時空を超える軸であることと考える。質量を伴う五感ではない、デジタルならではの質量を持たない感覚、それはセブンセンシズと呼んでいいかもしれない。少し未来の体験を切り開くには、セブンセンシズに目覚めよう。

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noel@少し未来(Sukoshi Future)
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