つらくても行動することの意味。
こんにちは。
最近の自分は結局、レッスンしたり、自宅で楽器を録音してサウナ行って、日々が過ぎていく。。。
8月はやることリストを作ってるから上々ではある。ゆるくジムも2、3日に一回行けてるし、
唯一飲んでる抗うつ薬のミルタザピンを今15mの半分にして10日目、
このあと思い切って辞めてみようと思う。
闘病2年と8ヶ月、先のことを見ていかないと。
さて、社会的弱者について、少し思うところがあった。
6月ごろに昔からの後輩と話す様になって、
その後輩もパニック障害と戦っていて,在宅で仕事を続けているらしい。
でも話を聞くと、
要は誰にも会いたくないということらしい。
症状があるから、誰にも会わず、連絡が来ても鬱陶しく全てが試練に感じる。
自分を絶対的に受けいるてくれる女性や、友人しか必要ないと思っている。
すごく、僕にはよくわかる。
新たなことが、全て問題で、
人付き合いなんてなくて良い、全てがプレッシャーであり、自分を傷つけるものだと、
まともに考えたらそう思う。
でもそれで5年、10年たったら
どんなことになるのだろう?
人見知りは進み、
もしかしたら社会のせいにするかもしれない、
自分なんてとか、
人生なんてと思うかもしれない。
建設的な頭を使えば、
問題のある自分に問題が起こらない様にするには、何にも、誰にも
接さず、全く行動しなければ
これほど安全なことはない。
家で、ウーバー頼んで、
ネトフリを見てたら良い。
僕は、そんな後輩に、
違うと伝えたい気持ちがあってよく話をする。
もちろん傷つくことは避けた方が良いけど、
避けた分だけ、さらに安心安全な範囲は狭まって、
どんどん怖いことが増えていく、、、
そしてさらに行動範囲を狭めて、
また狭まる。
これを解決するには、
安全と思える人、
思えそうな人と、
様々な活動をするしかない。
もちろん、ひとりで物事を起こせるなら良いが、
そんな元気はないと思う。
弱っている時は、寄り添ってくれる人と物事の中に生きることで、
心や体の回復した時に、うんと自由になれると僕は思うから。
重ねて思うけど、
誰にも会わず、
何も物事を起こさず過ごすことが何よりも安全と思うのは当然と思う。
僕もそうした時もあるけど、
下に潜れば潜るだけ、
上がってくるのがしんどくなる。
その生活を5年、10年続けたら、
もう人生はだいぶ消耗してるだろう。
しんどくても、やってみる。
僕はそうしてる。
そんな後輩を見て、
より一層、辛くても動ける範囲でやってみようと
そう思うのでした。