生活が変わっても、変わらない「なりたい自分」
なりたい自分っていつになってもなれないと思っていた。
小さいころは、「大人になったらなにになりたい?」と聞かれ、もう少し大きくなると夢や目標を抱くようになった。だんだんと現実を知るようになり、自分の能力となりたいものに距離があることに気づき、それでも近い将来になりたいもの(なれるもの?)を考える。
わたしの場合、社会人になる前に「バリバリ働き(いわゆる”バリキャリ”)キャリアを築く」と目標を掲げ、社会に入った。
3年も空いたブランク
結局、定年を迎える最後まで突っ走れることはできなくて、途中で業務委託のWebライターになったり、妊娠出産が重なったり、20代後半はなんと3年も会社員から離れた生活を送っていた。
掲げた目標が達成できなくて、それでも毎日が一生懸命で、どうこうしているうちに家族で移住する話が舞い込んできた。話し合いの結果、まずはわたしが働きに出ることに決めた。
主人はいま話題の専業主夫になってもらい、わたしが代わりに生計の主体者。
3年も会社員から離れていると「無事に会社員に戻れるのかな。稼ぎ柱でも体調崩したらどうしよう。子育て真っ最中の母親から仕事に切り替われるかな」と、不安はたくさんあった。不安はたくさんあるけれど、わたしは再び会社員の道へ戻った。
会社員に戻って
わたしが再就職で入った会社は製造業だった。新卒で入社した業界とは違い、新しい用語や商売の方法など見ること聞くことが新しかった。もうすぐ入社して3ヶ月が経つが、少しずつ仕事が慣れ頼られることも。1人でいた期間が長い分(子育てもある意味1人)、人と協力して責務を果たすことに嬉しさを感じていた。
生活も変わった。具体的には朝6時台に起きる(起きられる)ようになったのだ。遅刻をしたら周りに迷惑をかけると、以前ののんびり生活をしてた自分が聞いたら驚くくらい、社会人の意識が戻っていた。
わたしにとってのキャリアの答え
業務委託に戻らないかと言えば、100%「うん」とは言い切れない。収入がネックになるけれど、時間・精神的余裕は間違いなくある。それでも戻らないのはなぜか。おそらくわたしが社会人前に立てた目標が許していないのだと思う。
「バリキャリで働き、キャリアを築く」って会社員が前提だった。
この前提に気付いたのは、母親と会話をしたときだった。「あんたが言う”キャリアを築く”ってなんなの」という問いに対し、「明確に社長になりたいとかないけど、う〜〜ん…」と答えに迷っていたが、いま製造業の会社で働いてることが、キャリアを築いてるって感覚だった。
バリキャリはヒールを履いて銀座あたりをコツコツ歩く外資系の女性と思い込んでいたがそれは想像の世界だった。業務に興味があって、頼り頼られる良き人間関係のなかで自分の責務を果たす。これこそがわたしにとってバリキャリの姿であり、キャリアを築く意味であった。
学生時代の自分も、きっとそう言うだろう。
なりたい自分になっていた
もうすこし具体的なキャリアプランがあればいいが現時点ではほとんどノープランである。というのも、まだまだこれから。
ただ、1つ言えることとして過去の自分が掲げた「バリバリ働き(いわゆる”バリキャリ”)キャリアを築く」という目標を現在進行形で叶えているとわかった。学生時代に掲げた理想に近づこうと無意識か、結果的にか、近づけてる自分がなんだか誇らしい。よく回帰していたよ。
明日からも頑張って働こか。
ヘッダー画像は通勤途中の風景。北アルプスの山々が美しくてちょっと癒し。
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