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毎日の始まり、はじめて見た日の出。

私の心は今、底にある。

声にすることも憚られるほどに、辛いことがあった。詳細を書くことは控えるが、こんなにも辛いことを、私は今日初めてした。

連絡の一つもどうにもなく重く、辛い。それでも私しか向き合える人はいないわけで、自分の信じることを諦めずに、一つ一つ言葉を伝えた。

それだけでも、私にとってはすごく心苦しいことで、いてもたってもいられず、散歩に出かけた。そういえば、辛いを理由に散歩をすることは初めてかもしれない。
事務所の近くの図書館まで歩いて、小説や哲学書や絵本など、そこにある全ての本を目に焼けつけるように、その題名を一つずつ心で読む。
散歩だったから本の入るカバンも持っていなかったが、今借りたい2冊を手に抱えて、もう一度事務所に向かった。

帰り道の散歩はわかりやすく、足取りが軽い。

それでもパソコンの画面を見ると、また辛いことの続きがある。

どうにかこうにか、気を確かにしながら家までの帰り道。
ここのところ、車に乗っている時が一番気を緩められるようで、気づいたら呼吸が乱れるほどに、車内で泣いてしまうことがある。車という隔たりはあるものの、私が泣いていることを、信号で隣に止まった人は気づいているのだろう。

家の駐車場に車を止め、エンジンを切ったものの、辛さが襲ってきて家に帰る気になれない。(きっと家が階段で昇る5階ということも大きな理由)

気持ちに素直になりたくて、もう一度エンジンをつけ、あても無いままに車を走らせる。気づいたら2.3個 市を跨いでいて、時間は夜中の2時。日の出を見たい という気持ちがどこからか湧いてきて、今日は家に帰らず、日の出を見るために海の近くで待機することに。

24時間スーパーの駐車場で気付けば少し寝てしまい、念のためにかけていたアラームに起こされ、空は薄明るくなってきた頃。


自分の気持ちのためだけに、日の出を見るのは初めてのことだった。

気持ちは憔悴しているものの、せっかくなので「三重県 日の出 おすすめスポット」などと検索して、その海岸へと向かった。

視界の左から右まで全て、海が広がっていて、波の音が大きい。
きっと数年ぶりに砂浜を歩いて、大きな流木に腰掛けて、日の出の時を静かに待つ。

朝の陽の光はピンクで、海も、砂も、私の足や手も、光に照らされて、ほの柔く温かさをもった。

それは、なんとも美しい時間だった。
これまで見ることがなかったけれど、私の日常も、毎日この美しい時間で始まっていたんだと、大袈裟ではなく涙が出た。

自分でも認めるが、今は特に情緒が不安定なので、この日だけでもよくよく泣いている。でもその事実以上に、今日私が見た日の出は、大きな意味を持っていた。


思いつきで、日の出を見て朝帰りができることも
深夜4時頃にスーパーの駐車場でうたた寝ができることも
一人で暮らし、私がその責任を持っているからこそなんだと思う。

だとすれば、私は無敵なのかもしれない。
文頭に「私の心は今、底にある」と言っておきながらも、自分の行動次第で、何度だって美しいものに出会えるのかもしれない。


この数日の出来事や気持ち、そして今日や明日にまた考え、出会うものたちは、正直なところ今は抱えきれず恐怖があるけれど、近いいつかは感謝をするんだと思う。

この日のことを、何年先にも思い出したくて、砂浜に転がる綺麗な石を二つ手に取った。



その後の帰り道。もうすっかり、心に爽やかな風を感じるほど、気持ちが保てている。
家に帰ったら、ゆっくりお風呂に入って、溜まっていた洗濯をするぞ。と意気込み、朝にも開いている薬局に寄って、きれてしまっていた入浴剤を買う。

家について、手を止めてしまう前に、洗濯を回して、お風呂やトイレやシンクなど掃除したりした後、ゆずの香りのお風呂に浸かる。

すっかり気持ちは解けながら、まだ少し残っている辛いことに、今日も向き合い続ける。


〈8月20日追記〉
最近素直でいることがモットーでもあり、かなり開けて書いてしまっていたので、少しだけ修正しました。
誰かから見た時、立場上書かない方がいいことも、まだまだ省き切れていないが、私が気持ちを言葉にしないことは、それを "無い” にすることと等しいと思っていて。
日記を書くようになってから特に、自分が何者であるとしても、感情には素直でいたいと思っています。



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