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「かしこさ」とは「自己満足を得る力」~思考のパラダイムシフト~

思考のパラダイムシフトは突然訪れる。

これまで『かしこさラボ』では、「かしこさ」とは何かを探るために、分析編と称して8つの要素を深掘りした後で、統合を図り、

「理性と感情に折り合いをつけながら」
「コミュニケーション能力を駆使」
して
「論理的で計画的な実行と改善」を行い
「結果的に正確性・効率性・創造性が生み出されていること」

という結論を暫定的に出した。

その後、実践編と称して、様々な話題から、「かしこさ」を育てるための新しい教育に必要な要素を抽出する作業を行っている。

しかし、正直ピンと来ていない。なので、しばらく『かしこさラボ』の記事の更新を止めて単発記事を書きながら、ネタを寝かせていた。

ピンと来ていない理由は、「理性と感情に折り合いをつける」は全ての土台となるからまあ良いとして、それ以外の「かしこさ」の構成要素が、資本主義社会に求められる能力であって、時代によって変質することは明らかだし、本質的な「かしこさ」を表す確信が持てないからだ。

ひとことで言えば、「必死に働くロボット」じゃん。AIに取って代わられる能力にしがみつくことが「かしこさ」とはちゃんちゃらオカシイ。

その違和感は以前からあって「シン・かしこさ」の回でも同様の指摘はしたのだが、その時は「感情」を重視する必要性に言及して終わっていた。

改めて考えてみると、暫定的に出した「かしこさ」が指し示すものは、「社会的成功に対する他者からの評価を得るために必要な能力」といったほうが、適切なのかもしれない。

「褒められたい」の延長にあることと、資本主義社会の呪縛から逃れる思考回路が停止していることに、問題があるのではないのか。

で、気づいた。

多くの人が、その能力の獲得を「目標」にしているからだと。それは自己による選択の結果でしかないと。

そのことに無自覚であるがゆえに、結局は他者目線で求められる能力を「かしこさ」だと思い込んで、必死にくらいついて疲弊しているのだ。見えない他者や、多様な価値観や、その流動性に。

わたしの思考もその渦中にあったというわけだ。

すべてを「自己満足」のためと考えてみると、途端に頭のなかがクリアになっていく。

「かしこさ」とは「自己満足を得る力」

現状、資本主義下で自己満足を得るためには一定のポジションを取りに行く必要があり、その体制が維持される限りは、最初に導き出した「かしこさ」の構成要素を能力として培えばよい。

その資本主義社会のあり方が大きく変容する中で、自己満足を得るための手段がポジションの獲得だけではなくなる場合に、求められる要素も大きく変動するから、そこにアンテナを伸ばしていく必要がある。

今後さらに重要視される要素として私が直感しているのが、「感情」「コミュニケーション」「創造力」といったものだ。「持続可能性」という言葉などはむしろ現体制維持のための呪文のように聞こえてくる。

ただ、自己満足とは主観的なものであり、自らの価値観も流動的で、確実なものであるというわけではない。ただし、それはピボットを踏めばよいだけだ。自分の価値観や目標を適宜見つめ直してみる。まずはそこからだ。

私の目標は「日本が生き残るためのグランドデザインを想定しながら、モデルケースとなる部分最適を作ること」だ。そのために必要な「ミドルマンを養成すること」だ。

たしかに、貧しかろうと、日本がなくなろうと、全ての人間が「自己満足」を感じていれば実は問題ないのかもしれない。

しかし、資本主義社会は厳然として目の前にあるし、多くの人が社会的成功を求めてあくせく働いている。市場が急速に縮小していく中で「自己不満足」が増える可能性のほうが圧倒的に高いと予測できる。

その時に、比較的「自己満足を生み出せる受け皿を準備していくこと」が、ピボットを踏んだ結果の私の目標だ。

実践編で深掘りした「面白さ」「日本らしさ」「アイデンティティ」というテーマは、あながちピントがズレているわけでもなさそうだし、地方創生の活動に乗り出そうとしている行動にも違和感はない。「時代」「SDGs」「ワーケーション」「資源」「弱者の生存戦略」「デジタル教育」についても考察は深めた。後は「ファイナンス」と「プロダクト」と「政治」か。

ただ、私の「自己満足」はいつになるのだろうか笑


(2022/9/9)

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