「フリー・インプロヴィゼーション聴取の手引き」(ジョン・コルベット 著,工藤 遥 訳/カンパニー社刊) 読書感想文

読了した。著者は演奏家でもある。
入門書なのだが、ある程度は「即興演奏」を聴いてみて、「これは何をやっているのだ?」と思っている人向け。つまり中級者向けです。著者の「ウィット」が少々うるさいが、まあいいでしょう。

とりあえず、自分が演奏を聴きながらあれこれ考えてきたことが、素人のデタラメな当てずっぽうでもないことが確認できてよかった。私が感じてきたこととほぼ同じことが書いてあります。もちろん個々のケースには妥当・不適当の別があるのだろうけど。「注意散漫と居眠り」という章では私が何度も経験した現象と同じことが活き活きと描かれている。「半ば眠りこけていたり気が散っていたりするような変性意識状態」のことです。やはりこういうことは私以外の人も体験しているんだなあ。

「ノイズ・ミュージック」については、「日本とスカンジナビアでもっとも頻繁に見られる種で、北米やヨーロッパではそれほど確認されません」とされている。やはり日本のノイズは特異なのだろうか。スカンジナビアのことは私の知識不足で不明。

一方「フリージャズ」は北米で生まれて、後にヨーロッパで繁栄したとされている。ヨーロッパの「フリージャズ」は具体的に何を指しているのだろうか? フリージャズはヨーロッパの「フリー・インプロヴィゼーション」とは一応、別のジャンルとされている。「長い形式の劇的な弧」という説明はわかりにくい訳だが、平岡正明が書いていたように「末尾で最初のテーマに戻ってくることで円環を描く」というのとほぼ同じ意味だろう。「コードチェンジの循環がない。ハーモニーがある場合は、ひとつのコードに切り詰められる」というのも重要な指摘だが、意味が伝わりづらいですね。ジャズの人にはこれでわかるのでしょう。

面白いのは、私が不満を感じたような「微弱な音の即興」に対する不満が述べられていること。いわく「静的であることは得てして癒しともなりますが、しかし同じくらい容易く抑圧的にもなります」、「ひっそり倶楽部のメンバーには、馬鹿でかさや活力旺盛さや干渉に対して全面的に不寛容であることを決め込む人がいます。険しい顔つき、スカした感じ、うぬぼれ、しんとした息苦しさ」云々と刺激的な指摘が続く。わが意を得たり、という一方で、アメリカ(著者はシカゴが拠点)でもそういう演奏が流行っているのだな、と思う。日本の「音響派」だけの現象ではないようです。もちろん筆者は繊細な表現に無理解なわけではないですよ。

著者は即興演奏のだいご味を「相互作用のダイナミクス」にあるとしているが、一方でそれを「時折フリー・ミュージックに当てはめられる理想主義―共同体的なやり方を体現する平等社会のミニチュア・モデルのようであるという概念」という風に、やや突き放した言い方をしています。私がライブを企画しているモチベーションの一部はその「平等社会のミニチュア・モデルのようであるという概念」にあるのだが、著者はそのような考え方に距離を置く。

たとえば「フリー・ミュージック信者の神聖ぶった感じが、私にはどうにも耐えられません」と著者はいう。そして「即興音楽に道徳的な(あるいは審美的な、あるいは方法論的な)優位性があるとは言えません」とも断言する。これは間章のような考え方を全面的に否定するものであり、逆に言えば間章のような問題意識を保持して即興を論じている「フリー・ミュージック信者」がいまだに欧米にも存在していることを反映しているのだろう。著者はそういった「信者」よりはやや新しい世代であり、即興演奏を理想化する傾向には批判的だ。

じゃあ著者は何を以て即興を偏愛しているのかというと、知的好奇心だというわけで、つまり享楽主義です。それも倫理的な節度ある態度としての享楽主義。エピキュリアンですね。彼が言うには即興がもたらしたのは「相互作用についての新しい考え方」であって、そこに近代的エゴや近代文明に対する批評、自由への希求などを読むとるような行為、つまり文学的・哲学的・文化人類学的なフレームを当てはめることは、それとなく戒めています。

これはやはり「音楽マニア」に典型的なスタンスです。それと「音楽」に特化していて、踊りなど身体表現とのコラボレーションにはほとんど触れていない。「インプロ」=インプロ演劇について少し言及されているだけです。そのことが「音楽を聴くことの意義」を論じる際の著者の視野の狭さをもたらしている。身体表現の場合はテーマ性や社会性を取り込んでいくことは別に不自然なことだとはされていない。もちろん作者の意図から作品がどんどん逸脱していくことこそが面白いのではあるけど。

だから著者のディスク・ガイドからはコルトレーンとその信奉者たちやドン・チェリー、ミルフォード・グレイブスのような「ジャズ」直系のものとイデオロギー色のあるものは抜いてあります。重用されているのはヨーロッパのフリー・インプロヴィゼーションと、フリージャズからそちらへ接近した奏者、そしてアンソニー・ブラクストン。ここに今のアメリカにおける「即興」に関する一つの価値観を見てとることができる。つまり人間中心主義や情念の排除であり、無色透明な抽象主義、と同時に多文化共存主義ですね。

これに対して日本の即興シーンは異なるわけで、その視点を補うために細田成嗣(なるし)の「附録」が追加されている。苦心の選定だ。私が知っている最近の演奏家では、八木美知依、川嶋誠、照内央晴・松本ちはや、吉本裕美子などがチョイスされている。ちなみの原著のリストで挙げられている(執筆当時存命の)日本の奏者は坂田明、近藤等則、高瀬アキ、メルツバウ、(日本在住の奏者ではないが)イクエ・モリ、DJ Sniff、大友良英、灰野敬二、八木美知依、土取利行です。

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