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一割だとか九割だとか


高校一年生の秋、就職に関するセミナーのようなものを授業の一環で受けた。
選択した職業はファッションバイザーで海外や現地で買い付けたりと各地に飛び回るような仕事。グローバルで少し憧れていたことがありそれを選んだ。

セミナーで来てくださった講師は現役のバイザーで少し若い感じのフレッシュなお兄さん、紺色のスーツがとても似合っていたなという事を鮮明に覚えている。最近、あることがきっかけでその講師が話していた内容をふと思い出した。


その授業で講師はまだ高校一年生の私たちに向かって


人は見た目が九割です。
見た目が良くなければ中身は誰も見ません。
第一印象が大切なのは皆さんから得られる最初の情報が見た目しかないからです。
その後、初めて中身を知ってもらえます。

と話した。


一瞬、なんて辛辣なことを言うんだこの人は、と思ったけど考えてみればそうだよなとすぐに腑に落ちてしまいその言葉だけ今も忘れられない。

当たり前だがファッションや美容の世界で活躍してる人にセンスがない人などいないし見た目もかっこよく美しく華やかな人ばかり

顔がかっこいい人はモテるし美人が歩けば振り返る、容姿端麗というのはどんな形でも努力の元、創られていると思う。
アパレルも美容もそうだけど企業にとってその人は自分の会社の看板となるわけだ。有名なカフェも顔で取っているとその業界人に聞いたことがあるので間違いではないのかもしれない。


高校三年生になる頃には人は見た目が九割という言葉をあちこちで聞くようになり大人になった今も書店でそのようなタイトルの本をいくつか見かける。

表立ってする仕事は見た目が九割、という言葉の意味には容姿が良いの他にも常に笑顔だとか清潔感だったり初対面の人に対して不快感を与えないという意味もあると思う。


でもそれは仕事に関する場合であって
出会って一生、寄り添う相手は中身が九割の人を選びたい
私はそう思っている


私だけじゃない、多分みんなそう思っている。
なんなら中身が十割でもいい

なぜ急にそんなセミナーでの話を思い出したのか
先日、二年半ぶりに大切で大好きな友人に会った


出会ったのは高校三年生の春
転校先の入学式で私の隣に座っていた

当時やりたいことの為に、と通っていた学校を転校する決意をして必要な単位を取り切りファッションや芸能などいくつものアートが学べる学校へ転校した。

転校の時期は学校と日程調整して丁度、新年度に入ってくる一年生と共にしてもらいその入学式後の説明会で隣の席に座ったのが今の友人だ。

思えばよく私の隣に座ったなと思う。座る場所が他になかったからだと思うがそれでもあんな怖い容姿をした人の隣に座るなど自分でも嫌だ。


この話題は学生時代から交流のある友人を含め彼女との思い出話でもよく出てくるが当時の私の見た目はとても尖っていて誰も近寄ろうとしなかった。
80~90年代パンクロックに魅了されていたこともあり常に十センチを超える厚底に髪は黒と金のツートンカラー、蛍光色の服をまとって腰には常に手錠とシルバーアクセサリーを身につけ手元も指輪だらけだった。

人は見た目が九割とあれほど教わっておきながらなぜ入学式でそんな格好をしたのかは分からないけど当時は怖いものがなく、とにかく好きなものに囲まれた自由な生活に心を躍らせていたのだろう。

入学後に暫く経って最初の印象を話す機会があった時も大体の人に怖かったとか目を合わせないようにしたとか当然私でもそうするな、という印象を教えてくれた。

歳は二つ離れているが後輩先輩といった堅苦しい関係ではなく私は勝手に今も気の合う大好きな友人の一人だと思っている。友人は今でも私をお姉ちゃんのようだとか感謝の気持ちを述べてくれたり柔らかい人柄を持っていてそういうところがとても好きだ。

最後にあったのは二年半前の夏、コロナなどまだない世界で一緒にビアガーデンへいった。私は彼女と会う時間をとても大切にしている。自分の周りには自分に似た人が集まるというように彼女と私はいつも仕事に追われ、いつ連絡を取り合っても残業、休日出勤、今日は十連勤目なんだ、ととにかく予定が合わない。

ただそれが彼女と私を繋げる話題であったり互いを尊重し合う一つの材料になっているのかもしれない。学生時代にそんな彼女がバイト先で接客している姿を何度か見たことがあるが丁寧で学生ながら社会人と変わらないその所作や言葉使いに脱帽したことさえある。


二年半ぶりに一つのきっかけで久々に会うことになった際に友人から会う自信がない、隣に並ぶ自信がない、二年半も経てばあの頃の私とは容姿が違うからと言われた。


友人も私も似てると言ったが自己を犠牲にしてまでまだ大丈夫と働き続けた結果、少しずつメンタルも身体も蝕まれ互いに時期は違えど大きな代償を背負っている。
友人は今もなお、色々なものと向き合い乗り越えようと、同じ病気を患った私もまたその病気の辛さ、薬の副作用など経験したことを思い出すと少し辛くなるくらいキツイものだ。

彼女が私に伝えたその言葉には数年前に自信を無くし外に出られずふさぎ込んだ自分を重ねた。私は自分を変えたくて十五キロのダイエットをしたが痩せる前も痩せた今も近しく大切な人たちは誰一人変わらない。
痩せたことで近寄ってきた人はお世辞にもいい人とは言えず下心や手っ取り早く痩せるためにしたこと、私ではなく私の痩せた方法にしか興味がない人ばかり

私の好きな本の話、好きな季節の話には誰も興味を示さないけどどんなことをして痩せたかだけは発信したら瞬く間にコンタクトを取ろうとする人が増える。焦燥感のような虚しさを覚えそのような人たちは断ち切ってしまった。

人は痩せようが痩せまいが綺麗だろうが劣っていようが本当に大切なのは中身だ。どんなに綺麗でかわいい包装紙に包まれていても開けたら中身がボロボロだったらやはり意味がない。


こういう時、私は必ず思い出す言葉がある。


心で見なくちゃ、ものごとはよく見えない。
かんじんなことは、目に見えないんだ。


星の王子様に出てくる一文

読む度にこの言葉だけはグサリと胸に突き刺さる。
時々、見える情報でしか物事を選べない自分がいて、そんな自分が浅はかであると思い知らされているように


友人からの会う自信がないという言葉に私はありったけの想いで
あなたの見た目がどうこうではない
私はあなたが好きだから会いたい
あなたの物事に対する想いに惚れている
容姿などどうでもいい
何より私が今より十五キロ太っていた時もあなたは変わらず仲良くしてくれた。

本当はもっと暴力的で少し乱暴な言葉でそんなことを伝えた。

私の近くにいる人は皆、私が痩せる前から優しかった。容姿に自信がなくて体型がコンプレックスだった私を前にしても誰も私に傷つけるような言葉をかけたことなどない。
私もまた大切な人たちの事を容姿だけで選んだことなどない。気が付けば隣にいて、心地が良くて、その感覚がクセになり、また会いたい、また話したい、次会ったらこんなことを話そう、そうやっていくつものやり取りを重ね、魅了されてきた。


人の見た目が九割なのは本当、でもたった一割の中身がとてつもなく魅力に溢れているものだとしたら、私はそれに気づける人で在りたいと思う。


私はその一割を見抜けるような目に見えない中身をもっともっと磨きたい。

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野田 あずき
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