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30分で書く嘘日記①心臓

2210年11月10日

培養液の中で漂う心臓を確認するのが日課だ。
心地良いとは言えないはずのその光景をそれでも毎日欠かさず確認するのは、それが人の存続にとって重要な仕事だからというだけではなかった。

もしかすると美しいのかもしれないと、思うのであった。
かもしれない、というほどの曖昧さが、毎日必要以上に長い時間を仕事に使う理由だった。

氷河期に入ったこの地球で皆、死ぬか生き延びるかの運を試された。
次にあったのは選択だった。あと少ししたら死ぬか、もう少し先で死ぬか。もう少し先で死ぬことにした者は臓器を抜き出され、培養液につけられた。皆の自然な死に際を引き受けるためには物質は足りなかった。不死身の技術などは夢の話だった。
私は死を先延ばしにすることを恐れた。そうして培養液の管理者となった。私が死ねば次の若者が後を継ぎ、それが繰り返されることになっていた。

いつの日か合致する器が現れることを求めて漂う心臓たちを眺め、昔一度だけ見た映像のことを今日も思い出していた。

変な生き物だった。
心臓が水に漂っているのに似ていた。実際、その生き物の規則的な動きは鼓動の働きに当たるらしかった。触手がちょうど心臓から伸びる神経系のようだった。
剥き出しの心臓が漂っているようでいて、その鼓動が推進力を作る。
命らしさがちょうど疑わしいくらいの光景。

培養液を長い時間眺めるようになったのはそれからだった。
映像に映っていた生き物は、おそらく、美しかったのだ。
培養液の心臓を美しいのかもしれないと思うのは、あの生き物が美しかったからなのか。それともあの記憶から独立したものがあるのか。
それが分からず、分からないということのうれしさに身を委ねていた。

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