図書館司書として4か月働いて、昨日辞めた。いい仕事だった。
2024年11月13日
夏から4か月、図書館司書として大学図書館で働いていた。昨日退職した。理由は金銭面。最低賃金×6時間×週5、ちょっと生活が苦しかった。
でも仕事は今まで経験した中で(アルバイト含め)、一番好きだった。
開館前の電気がついていない図書館を初めて見た。電気がつけられ開かれた場所になる前の図書館で、本たちに潜む膨大な時間が呼吸しているのを微かに感じた。晴れた日は磨りガラスから光が伸びてどことなく懺悔室を連想した。夏は蝉の声がした。カーペットに当たる光とタイルに当たる光は違った。カーペットに光が伸びると砂漠、タイルに光が当たると海が、長い廊下のような作りのあの通路の向こうに広がっていることを空想した。
図書館司書をまたやらない限り、電気のついていない図書館を見ることは、もう二度とないのだ!
その図書館は一般向けに開かれていないから、あの場所のことを私は少しずつ忘れていくことしかできない。同僚だった人たちのことだって、もう会わなければ、私が忘れたら私にとっては存在しないことと一緒になってしまう。
学校は卒業しても行こうと思えば行けるから、行こうと思っても行けない場所というのは、案外辞めた職場くらいかもと思った。
本当は毎日、一生で一度のことは起こっているのだ。気づかないだけで。でもこんなに最後を意識することはあまりないと思う最終日だった。
同僚からプレゼントをもらったりした。当たり障りのないプレゼントを選ぶことに長けていそうな人からブックカバーをもらって、消え物じゃないのが嬉しかった。好きだったけど、また会うのかは分からない。友達じゃなくて同僚だから。寂しい。
お金さえもっともらえたら、10年でも続けられたかもなー。
テレワークだった前職の頃より体力がついたし(司書は肉体労働なところもあるのだ)、足腰が若干強くなったから習い事の日本舞踊に役立った。
演劇をやっているから公演期間は休まなければいけなかったけど、同い年のチーフが優しくてプライベートが同じく充実しているタイプだったので、(休むのは申し訳ないものの)気持ちよく休みを取らせてもらえた。
心も健康になった。お日さまと運動、それと自分に合う仕事、って心の健康に大事だ。仕事行きたくないよーと思うことはほぼなかった。電車通勤と心の余裕がある分、本も去年と比べてたくさん読めるようになった。
三島由紀夫『暁の寺(豊饒の海第三部)』でこういう文章がある。
「本多は薪を燃やすたびに、自分の生涯のどこを探しても、こういうもっとも質朴は知識や技術に親しむ機会のなかったことを思わずにはいられなかった。彼はそもそも『物』に触ったことがなかったのではないか?」
図書館で本を修繕したり、配架したりするときには、自分の体と指先をよく意識した。そんなとき、モノに触れる仕事は人間にとって自然で、心地いいなあと思った。前職のSEは一日中家で画面の前に座るから、自分の体がなくなっていったなあ(それが俳優としてよくない、と思ったのも辞めた理由の一つだった。)でもモノに触れる仕事は賃金が低いことが多いよなあ。