ファッションの昨今
ふと、今の子供は昔の子供が着ていたような服を着ていないと思ってしまいました。
上着のことをオーバーという人も少なくなりました。
昔の子供は、冬でも、大きな柄のセーターに半ズボン、もしくはスカートでいた気がします。
今、そのような子供はほとんど見かけないようです。
私はかつて、いわゆるDCブランドを好んで着ていました。
LQ、ドモン、キャサリンハムネット、ケンゾー、ゴルチェ、マサキマツシマ、トキオクマガイ、ヨージヤマモト。
伊勢丹や丸井のメンズ館で年間二十万以上使っていた気がします。そのくらい興味がありました。"JK"などという言葉を最初聞いた時、ブランドの名前かと思ったくらいファッションのことを考えていました。
今も、たまに出かけた時にふらりと見ることがあります。
どうも、おとなしくなっている印象がします。
私はデコレーションではなく、シルエットを重要視する柄のないシンプルな服を好んでいましたが、探してみても、昔のようなマントコートや、ワンピースのようなシャツや、襟だけにアクセサリーがついたシャツであるとか、巻きスカート付のパンタロンであるとか、青いスエードのパンツであるとか、かつて自分が持っていたような服を見かけない。
ファッションデザインがカジュアルに、またおとなしくなっているように見えました。
今、と言ってもこの一、二年ほどのことですが、今の一般的なファッションは、かっこよくなる、かわいくなるために着る物ではなく、短所を隠すための物に見えます。
『智慧(ちえ)の実』でも食ったのでしょうか。
翻(ひるがえ)って、アニメやゲームのキャラクターに扮(ふん)するコスプレは一層盛んになっています。
ファンタジーの世界の服装で自らの変身願望や非日常の感覚を味わえるようになれば、既製服は、もう日常向けと言うことなのでありましょうか。
コスプレが広まったのは、既成のブランドに対するアンチテーゼということはないでしょうか。
単に、日常はファストファッション、非日常にコスプレをもってくるということもありましょうか。
ここまでファストファッションが当たり前になってくると、60年代のペーパードレス(不織布で作られたワンピース。当時のポップアートを"印刷"して、普通のドレスの10分の1程度の値段で売っていた)でも復活しそうですね。
着こなしにはセンスがいる。
しかし、そのセンスをはぐくむような時代ではない、となれば、福のシルエットや材質ではなく、どのような柄、柄というより、プリントしたものでセンス、というよりも個性を出す。
ファッションのデザインよりも着こなしのほうがより重要な時代になっているのかもしれません。
90年代のDCブランドに比べてシンプルにカジュアルになっているのは『好きに着こなせ』というデザイナーのメッセージにも見えます。
かつて、外国のファッションデザイナーが竹下通りを歩く女の子たちを見て、『ファッションとは本来、あのようにカジュアルな服を自分なりに自由に着こなすものなのかもしれない』というようなことを言っていました。
ファッションにしろ、メイクにしろ、自分なりにしてみることが大切だと思います。
『ふさわしい』ということとなると、どうしても固定観念があったり、まわりを気にしすぎたりしますし。
今や、GUやしまむらなどの服を自由に着こなすことがセンスがあるといえますし、そもそもそれがファッションなんだと思われます。
着こなしも時代とともに変わりますから、例えばかつては黒のドレスといったら金のバッグを合わせましょうと、バブルの名残がまた残っている時代には言われていましたが、今の時代はむしろ少しずれた感じもします。
当然、本人が好きなら何の問題もありません。
今は、かわいらしい感じ、キュートな感じのものを、そしてこれが何より大事ですが、自分のセンスでコーディネイトするのがもっともかっこいい時代になっています。
ようやく本来のファッションと言うことになるのでしょう。
山本耀司(ヨージヤマモト)が、『黒には意味がない。意味なんて好きじゃない』というようなことを言っていて、当時説明という行為が苦手だった私は共感したものです。
文学ですが、三島由紀夫の言葉です。
『私はあくまで黒い髪の女性を美しいと思ふ。洋服は髪の毛の色によつて制約されるであらうが女の黒い髪は最も派手な、はなやかな色であるから、かうして黒い服を着た黒い髪の女は、 世界中で一番派手な美しさと言へるだらう。』
ちなみに、私の卒業論文のタイトルは『宗教における白と黒の役割』といいまして、宗教美術や実際の儀式の場における色彩論のようなことを考察したのですが、『白と黒は色ではない』などと言われるくらい特別な色でして、記号的意味合いが強すぎて、着こなしが簡単であると同時に難しかったりします。
特に黒は人を選ぶ気がします。
私の最も好きな色は紫がかった青でして、群青とかウルトラマリンとかその辺ですね。
鉱物としてはラピスラズリですよ。青金石。
ただ、いくら好きと言っても、全身群青色をまとうわけにもいきませんから、たいてい、黒と組み合わせていました。
シャツだけ群青色にして、ボトムは麻混のズボンに巻きスカート、両方黒ですね。または、シャツもたとえばスタンドカラーの黒いシャツにケンゾーの群青色のサスペンダーなどをしていました。
客観的なセンスはともあれ、基本的には黒が好きで、黒にどの色を合わせるかというような着こなしをしていました。
自分の心に浮かんだ、自分だけの感覚(センス)、それを言葉や形にして表すのもよし。
でも、そっと大切にしまっておくのも好いセンスというか、好い趣味だと思います。
なにやら、センスの話になってしまいましたが、昨日の自分とはまた少し違う自分を演じたいから、別の服を着る。
その一方で、いまだにブランドを欲しがる大学生や中高生は少なくないようです。
服がくれる自由もあると思うし、ファッションはアイテムを自分で見出してコーディネイトする、それこそがファッションそれ自体の楽しみであると思います。
一昔前、伊勢丹の一階を歩いていたら、ある世界的なブランドのリングが陳列されていました。
ブランドのロゴをかたどっていて、一つはメタル素材で一万何千円、もう一つはアクリルで五千円だった覚えがあります。
もうその頃はブランド品を買う余裕はなくなっていたこともあって、自分には縁日の子供だましの品のように見え、その値段に驚いてしまいましたが、あれはどれくらい売れたのでしょうか。
ファッション売り場も大人向けの駄菓子屋なのかもしれません。
お金に余裕があればいいのでしょうが、そうではないのに、憧れで高級ブランドのバッグなどを合わせる姿は、自分のセンスを磨く練習にも、当然試みにもなりません。
特に若いうちにそれをやるのは、あたかもデザイナーを志す人が練習段階でデッサンも色彩論もデザイン論も学ばずに、無料のホームページ制作サイトの用意したテンプレートでデザインし続けるようなものだと思います。
とはいえ、私も、高校生くらいの時は調子に乗ってブランド品の財布や手帳を持っていたものです。
それが今ではしまむらの財布ですよ。
使いやすいんですけどね。丈夫ですし。
装飾性から機能性への流れ、20世紀以降の流れはそのまま、これからも服はシンプルなもの、ファストファッションが定着してしまうでしょう。
服に装飾性がないのなら、アクセサリーで装飾するのではないでしょうか。
身に着けるアクセサリーとともに、服、靴、靴下、ベルトに着けるアクセサリーなどによって、個性を出す、つまり、自分というものを見出そうとするのではないか。
ファッションにおいて。
ココ・シャネルが、フェイクジュエリーを身に着けたのは、それまでのように、自分の経済力=権力を示すために身に着けたのではなく、自分を美しくするために身に着けたそうですが、今や、アクセサリーは、フェイクで十分というよりも、もはやフェイクと本物の間に、差などないのかもしれません。
宝石にまつわる意味、さらには値札付きの権力を示す必要性がない。
そうなると、もうアクリルでいいのかもしれません。
軽いし。
昔、エルメスがアクリルの指輪を五千円で売っていましたが、あれも、もはや宝飾品に意味などない、ただの飾りだ、自分を美しくするための道具に過ぎない、というメッセージであったのかもしれません。
値段はともかく。
高級時計は売ることを考えて買うそうですが、かつての貴族のアクセサリーも一つの財産でしたから。
下手すれば、一つのアクセサリー、ネックレスで軍隊を雇えたそうですよ。
しかし、今は、そうして、装飾品に意味をつけて、つまりは数字に置き換えられるようなものを身に着けで、自分の実力を誇示しようとするのが旧世紀的な頭なのかもしれません。
ハイブランドにしても、デザイナーが交代して、カジュアル化するようなものもありますね。
私はたまにバーバリーの靴を履いています。といっても松屋百貨店の、今はなき清澄白河の倉庫バーゲンで5000円で買ったものですが、中敷きのロゴはほとんど擦(す)り切れているものの、やはりひとめでそれとわかるロゴが見えます。
今、バーバリーはデザイナーが変わり、太ゴシックのようなロゴになったようです。
それまでの字の端っこに飾りがあった、『セリフ体』という書体であったものが『サンセリフ体』になる。『サン』は、フランス語で「〜のない」という意味です。
どうもバーバリーに見えません。
装飾がなくなっていくのは、書体だけではなく、そもそも書体より前に、ファッションがそうですし、建築も室内装飾もそうですね。
年中行事も型にはまったものになってしまいました。
個性を売り物にしていたファッションが普通になり、ハイブランドは、コラボする。
今の時代は、ファッションそのものを通じてトークをする時代でもなくなっているのでしょうか。
三大ブランドと言われたブランドも、どこかの漫画のキャラクターの服やアクセサリーを作っています。
私にはそれが売れるのかはわかりません。
しまむらで出したら売れると思います。
追記
池袋の丸井が閉店するらしいですね。
前に行ったとき、ドラックストアが入っていたのに、少し驚いたものでしたが。
これでまともな丸井は新宿、渋谷、有楽町くらいでしょうか。
20代のころ、バーゲンシーズンになると、新宿のメンズ館に行っていた人間にとっては、時代を感じてしまいます。
追記その2
2021年9月の頭まで、六本木の国立新美術館でファッションインジャパンが行われていました。
戦後の我が国のファッションの変遷とメディア上の広告などが見られて興味深かったです。
ただ、撮影できるものが2010年代以降に限られていました。
ファッションが美術として主張しているということなんでしょうね。しかも、ファッションという最新の流行を作り出すはずのものが、自らを伝統扱いしている表れかとも思いました。
現代アートのギャラリーは、たいてい撮影はできますから。
70年代、80年代のファッションもそれまでの我が国の柄、外国のドレス、さらには民族衣装を参考にしてきたでしょうに。
ということであれば、また別の理由があるということなのでしょう。