生成AIとクリエイション
生成AIに共通一次試験を解かせたら、正答率か91パーセントだったらしいですね。
むしろ、100パーセント行かないというのは、問題の作り方がおかしいんじゃないかとさえ思えますよ。
しかし、勉強は覚えないと。
生成AIを使って宿題やレポートを片づけるのは、むしろ機会を大切にしていないという気もします。
覚え方は、今やデジタル機器を駆使しているんでしょうが。
他人の言うこと聞かない頑固者でも、AIのアドバイスは利きそうなのが不思議ですね。
勉強ができるできないなんて、中学高校あたりの教員に対する好き嫌いもありますからね。
AIに教えてもらった方がいいですよ。AIに解答させるんじゃなくて、教えてもらうんですよ。
それに、生成AIに指示を出すにも、ある程度のその分野の知識入りますからね。
論理が理解できない人が、ExcelのIF関数の意味が分からないようなものです。
仕事はいいんですよ、片づけですから。
どんどん生成AIを使って、残業を無くしましょう。
しかし、職場はともかく、生成AIが仕事などに取り入れられるようになりまして、当然のごとく、忌避感を覚える人々も出てきています。
世の職業についてAIの導入具合をおおざっぱですが、見ていきたいと思います。
真っ先に仕事が減ると言われていた事務がすでに仕事に取り入れていますね。
Excelのマクロやスプレッド―シートのスクリプトなんて、指示を出せば組んでくれますからね。
しかも、結果もすぐにわかるから、試行錯誤しながらでも、自動化ツールが事務職でも作れるようになりました。
メールの一斉送信スクリプトなんかも作れますし。
無難な役所向けの文書でさえ作ってくれます。
大学などでも、教職員はもちろん、OpenAIと契約して学生にも使わせているところもありますね。
使って見て思うんですが、AIって、いわばカンニングなんですよね。
自分で調べて考えたり覚えたりする必要がなく、答えだけを手に入れられる。
プログラマーが一番使っているみたいですね。
AIで一番楽になったのは、プログラマーじゃないですかね。
プログラミング言語自体に著作権はないですし。
いらなくなるんじゃないかと言われていたプログラマーが一番楽になるのも面白い話です。
コメントの追加、バグの修正、言語への移植、つまり、コードを JavaScript、Python、Java、TypeScript、C++、PHP などの言語に変換してくれますよ。
依頼する側もまだこんなに楽になっているとは知りませんからね。
人間が書くよりも、ずっとわかりやすいコードを書いてくれます。
私は、プログラミングはしませんが、マクロでさえ分かりやすいですよ。
事務仕事で言えば、AIに教えてもらった能率化の手段を使って、事務を効率的に処理する。
そのような使い方をしています。
もう少しセキュリティがどうになればそのうち、ファイルごと、アップロードして、処理してくれるようになるんでしょう。
今でも、個人情報を上げなければ可能ですから。
事務というものは、個性がいらないんですよ。
なんなら、自分で考えて、個性を出すことすら疎まれますからね、AIと相性抜群なんですよ。
AIも個性がありませんからね。
個性がいらない、個性を求められていない分野、他に例えば、プログラマーなんかも、AIによって仕事が減るみたいなことを言われていましたが、実際は、AIにコードを組ませたり、仕様書を書かせたりと、仕事を増やしているそうです。
大層楽らしいですよ。
英文翻訳なんかでも、翻訳してもらった後に、翻訳文と原文を見比べさせて、ニュアンスや意味合いが変わってる部分を修正してくださいって、最終稿を出力させると、殆ど人間と変わりありませんよ。
これ、事務でもプログラミングでも、半分以上AIにやらせていますが、何か一つくらいは、自分の手でできることを身に付けないと、ただ、労働と消費をするだけの人間になりそうですね。
手でこなすような技能を身につけたいところです。
楽器を弾ける、絵の具で絵を描ける、筆で字を書ける、裁縫ができる、料理ができるとか。
猫の言葉がわかるとか。
占いとか、特に夢占いなんて、AIでできますからね。
何かの判断だって、AIに決めてもらって、人間が承認するだけでしょう。
噂話で、政治家が何かを決める時に占い師に決めてもらうというような話がまことしやかに伝えられていますが、これ、民間レベルというか、個人レベルは、AIでいいでしょう。
企画アイデアもAIが出せますよ。
てことは、プロモーション全盛ですかね。
そのうち、アプリはもちろん、システムさえも作れるAIができて来るんじゃないですか。
テストなんて、ちょっと詳しい事務員が何人かで担当すればいいだけですし。
システムさえもGoogleWorkSpaceやOfiice365で賄えるようになったらどうなるんですかね。
事務員の方で、ちょっとした仕様変更ができるようになると、大変便利なんですよ。
中規模システムくらいそろそろ行けそうな勢いですけどね。
ノーコードツールなんてありますからね。
アプリ連携とかもできているようです。
細かいところは、プログラミングが必要でしょうが、実際、現実のシステム運用なんて、使いづらくても仕方なく使っていますからね。事務員は。
別にいいんですよ、細かい所なんて。
今、生成AIを事務の方で使うのは、せいぜいスクリプトやマクロを組んでもらうレベルなのですが、これ、ミニシステムみたいなものも作れるんですよ。
Zapier や Integromat(Make)などのプロセス自動化ツールやAirtable や Glide など簡易的なWebアプリやデータベース管理を使うと、今現在、手動でアプリケーション間を移動していたデータを自動で移せるんですよ。
労働でしかない、コピー&ペーストから解放されるわけです。
今のプログラマーはくいっぱぐれなさそうですが、今から学んで、じゃあ一生の仕事としてやっていけるのかというところですね。
このところ、文系の大学までもが、情報系の学科を立ち上げていますが、
卒業するころには、半分生成AIで賄えるようになっているんじゃないでしょうか。
世の中の仕事で、コンピューターを使っているようなものは、AIを使えばより効率化するということです。
コンピューターだけを使う仕事なら、なおさらです。
労働なんて、しないにこしたことはありませんから、どんどんAIを使って片づけたらいいと思いますよ。
となると、個性的な分野はどうなるのか。
生成AIに反対の意見があるのは、このクリエイターの分野のようですね。
作業仕事とは違い、個性が尊重される分野です。
その中でも個性を出せばいいってものじゃない分野はどれでしょうかね。
思いつくのが、建築と、Webデザインでしょうか。
建築は、ごく一部の有名建築家以外は、あまり個性的な建物を作られても困るということはありましょう。
土木建築なんてのは、むしろ個性を出さない方がよさそうです。
Webデザインにしても、以前から、サイトのフォーマットのサービスがあるように、見やすくて、それなりに洗練されていればそれでいいというのが需要のようです。
予算もあるでしょうからね。
グラフィックデザインもそうですが、デザインは著作権はありませんで、意匠権を主張するしかないのですが、そうなるとやはり、AIが得意としてしまう分野になるかもしれません。
今、アナログでデザインしているGDはいないでしょうから。
さて、このあたりは、あまり生成AIに対して反対していないようですね。
建築なんてすでに取り入れているでしょうし、Webデザインに関しては、AIが広まる以前から、競合が多すぎて厳しいと言われていましたからね。
コンピュータを使ってしている仕事で、最も個性的なのが、小説、音楽、絵ということになりましょう。
先ず、作曲に関してですが、作曲家と言いますか、今は作曲家兼ミュージシャンの方が多いようですが、この辺からはAIに関してはちっともと言っていいくらい、反対意見が出ませんね。
『最近の音楽は皆同じ』だとか、『最近のミュージシャンは云々』等と言う意見が大御所からありますが、これはAIの話ではありませんから、
既に作曲に関しては、一部、もしくはほとんどをAIに書かせているという人もいるみたいです。
そもそも最近の音楽は、一から十までコンピュータで作るわけですから、
AIとの相性は抜群なわけです。
事務仕事にの様に、間に人間が入り込んできませんし。
作曲に関しては、プグラマーと同様、AIをアシスタント的に使うスタイルになっていくでしょうね。
若しくは、すべて作らせるということもあり得ます。
と言いますのも、分野は違いますが、ファッションデザイナーでも、自分でデザインせずに、アシスタントにイメージを言葉で伝えて、アシスタントにデザインをさせている人もいますから。
この場合、デザイナーは誰になるのかという話なのですが、デザインは、そのデザイナーであり、アシスタントではありませんから。
AIに作らせても、作ったのは、指示を出した人になるわけです。
個性的な指示を出しているわけですから。
よく考えたら、会社も同じですしょうかね。
次に、小説ですが、これも意外と、反対しませんでしたね。
むしろ、面倒な描写とかは、AIに書かせそうです。
プロット作りなどもAIと協力してできそうですし。
むしろ、小説に関しては、手書きからワープロに変わった時代が、忌避反応が多くありましたね。
ワープロなんて、書く行為ではないということです。
書くというより、検索変換行為に近いものかもしれません。
しかし、今時手書きの人もいないでしょうから、AIに対する忌避感もないのかもしれません。
AIに書かせて見れは分かるのですが、それなり書いてくれるですよ。
しかし、見事なまでに、月並みな表現のオンパレードです。
あれを見れば、小説家は安泰だと思うでしようね。
小説というものは、自律型のAIができない限り難しいのかもしれませんと言うのが実感です。
ライトノベルなどは分かりませんが。
それに、小説というものはあくまでも個人的な作業でして、自分の頭の中の言葉を吐き出して、自分から離したいんですよ。
そういう行為ですから、AIに吐き出されてもしょうがないんですよね。
小説というものは、字を書いているんじゃなくて、フィクションを作っている。世界を構築している行為なんですよ。
私小説と言えども、フィクションなんですよね。
AIの構築した世界は、まだまだ書割の世界にしか見えないのかもしれません。
ただ、ライターはどうなんでしょうか。
特に、昨今の広告目当てのサイトに書かれているようなものは、AIでまかなえそうな気がしますが。
検索エンジンも、大手の検索結果は、スポンサー順ですからね。
これはライターのせいではないのでしょうが。
次に絵です。
絵と言っても、画家ではなく、いわゆる『絵師』の方です。
タブレットで描いている方ですが、どうもこちらが、あらゆる分野で最も生成AIに対して忌避感の意見が目立ちます。
文章も音楽もですが、AIの絵も簡単に描けますからね。
簡単に描いてもらっても困るんでしよう。
かつて、写真技術ができた時に、画家が反対したんですよ。
その中でも、肖像画家が反対したんですよ。
既得権益の問題になりますから。
今のイラストに関するAIの問題も、既得権益の問題になるんでしょう。
ただ、イラストの場合、『絵師』そのものよりも、イラストを使っているエンターテイメント業界の人間が反対しているようにも見えます。
ファンの方も含めて。
自分の応援する絵師の既得権を守りたいのでしょうか。
問題になっているのが、AIが学習する、つまりは真似をするということらしいです。
インターネットから情報を収集して生成するのが生成AIですから、当たり前ですが。
写真については、絵が描けない人でも、肖像や風景を保存できる手段として広まったわけです。
AIの絵もそれと同じかと思えば、写真は、世界を直接写すもので、イラストはそうじゃないということがあります。
ところで、写真家も今や皆が皆、デジタルになりましたね。
プロのカメラマンは全員デジタルでしょう。
フイルムを使うのは完全に道楽の分野になりました。
どの分野も、アナログでやっている人はびくともしないでしょうね。
イラストと言うよりも、CGと言った方がいいような絵、例えば、Blenderで作ったような絵は、AIで作った物と、個人的に全く区別がつきません。
若い人は分かるんでしようか。
イラストをAIで生成させるそもそもは、プロモーションに使う物の為なんじゃないでしようか。
今迄、著作権フリーのイラスト、例えば有名な『いらすと屋』のイラストを使っていた分野がAIの絵と相性がいいと思いますよ。
簡単に言いますと。
プレゼン資料ですとか、映像プロモーションもそうですが。
個性的なもの、物珍しい物、そういうイラストに関しては、そもそもAIを使う必要ないでしょうし、AIを使った絵を作ってそれを使っても売れないんじゃないでしょうか。
LINEスタンプとかは、AIで作ったようなものもそこそこ売れているようですが。
不思議と、デジタルで描かれた絵って、画集にするよりもモニターとかスマートフォンでみたほうが魅力的なんですよね。
大きさの問題とか、光の三原色と、色の三原色の違いがありそうです。
RGBで作ったような物は、RGBで見た方がいいのでしょう。
CMYKは、CMYKのまま見るのがいいんでしょう。
そういいながら、アイデアだけあって、絵が苦手な人が、キャラクターを作ったり、また、むしろ現代芸術のようなものを描いたりする分には、利用価値がある気もしてきました。
そうなると、今、イラストがAIで生成されることに反対する分野と言うのは、要は、AIのイラストが、大量に流れ込むことで、World Wide Web上において、既存のイラストを攪乱しているという主張なんでしようね。
だから、タグをつけた方がいいということなんでしょう。
イラスト関連で生成AIに反対している人々も仕事では使うのでしょうから、生成AIそのものに反対しているわけではないでしょう。
要は、『自分たちのコミュニティを攪乱しないでくれ』ということなんでしょうね。
それなら、攪乱しないで差し上げた方がいいと思いますよ。
最近の絵は、デジタル絵ですからね。
コンピュータで作った絵に対して、コンピュータが生成する絵と言うのが、
相性が良すぎるんですしょうね。
同人漫画というのがありますが、
これから先、個人で、好きな漫画屋アニメなどの動画を作って楽しむ時代が来るのかもしれません。
AIの制作物なんて、しょせんは、時の相の下に散らしている情報でしかないでしょうから。
生成AIそのものは欠かせぬものとなっていくでしようが。
一つまた別の視点から言いますと、人間というものは、作品だけを見ているわけじゃなくて、その制作者も含めて価値を見ているんでしよう。
芸術作品でもミュージシャンでもそうですよね。
クリエーターの分野こそ、AIに置き換えられそうでしたが、人間特有のその習慣化ある限り、クリエイターは必要なままでいるんじゃないでしようか。
となると、また別の話ですが、生成AIの制作物がこれからますます増えるにつれ、人間の意識も変わるんでしょうか。
これまでは、その制作物に付加された情報も含めての価値でした。
芸術作品でも、茶碗でもそうですよね。
ジャンプに印刷された漫画なら、今いくらか知りませんが、200円くらいで手に入るんでしょう。
しかし、漫画家が手書きで描いたものなら、それの数千倍の値段になるわけですよ。
そのような、情報を含めての価値観が揺るがされるのではないでしょうか。
デジタル表現ができた時に、それは指摘されましたが、やはり、デジタル表現であっても、特定のカメラマンがとったものは価値が違うわけですよ。
生成AIは、その人間の意識を超えるのでしょうかね。
誰が作った、誰がデザインした、誰が描いたというのを超える日が来るんでしょうか。
個人で使う分には、卒業記念でゼミの思い出動画とか、個人的な記念とか贈り物的な動画とか、そういう分にはAIで作ってもいいような気がしますね。
絵はともかく、動画はデジタル表現ですから。
曲も作れますし。
でも、IllustratorやPhotoshop、ましてAfter effectsで操作していて、楽しい人がいるんですかね。
アナログでレイアウトやロゴを考えている段階は楽しいでしょうが。
そのツールしかない時代は楽しいかもしれませんが、アナログの楽しさには敵わないでしょう。
Photoshopで色味の調整とか切抜きをするなら、AIにとっととしてもらいたいですし、After effectsなんかでも、エフェクト調整もAIにしてもらいたい気はします。
能率的だから、デジタルになったんですよね。
クリエイションの全般が。
そういえば、少し前まで、Adobeの宣伝文句が『誰でもクリエイター』みたいな事を言っていましたが、AIを利用すれば、まさしく誰でもクリエイターですよね。
ただ、あまりプライベートの言葉をAIに書かせると、自分の言葉を失うと思いますよ。
言葉というものは、その人の過去の時間の積み重ねであり、その人の生きてきた時間の上に成り立っているものですから。
AIの文章は、その一人の人間の時間の積み重ねとは反対に、無数の人間の現在ある大量のデータの上に成り立つものですから、上手なだけで、個性がないのです。
小児の絵に個性があるかどうかはわかりませんが、その言葉に個性がないのはそのためです。
しかし、最近、自分で生成AIを使って小説でないまとめ的な文章や、絵を個人的に描いていましたが、すでに飽きた感があります。
片づけでしかないですからね。
金儲けと言う餌でもない限り、熱心にやるものでもない気がしますが。
これは全く個人的な飽きっぽい性格の人間の感想ですが。
生成AIは、仕事の補助ツールとして使うといいですよ。
若しくは得意分野で。
誰でもできることを今からやれば、競走しないといけませんし。
人生を凌ぐコツは、これだと決めたら、それを続けることです。
ダボハゼのように流行や利益に食らいつくより、一つのことを続ける方が、結局、トータルで利益になりますから。
組み合わせですよね。
一昔前、WEBデザイナーになりたい人が増えた時に、自分の得意な分野のWEBデザイナーになることを勧められました。
ただ、自分は生かしたデザインができるというのを主張するのではなく、金融出身なら金融、フアッションならアパレル、スポーツならスポーツ系のWEBデザイナーになった方が早いのです。
生成AIも同じですよ。
AIの絵とか音楽が目立つからと言って、絵も描けないのに、今更自分も、と参加しても、趣味の域を出ないと思います。
アイデア豊富な人は別ですけどね。
AIに作らせると、なんかやった気分にはなりますね。
これは、『可能性の罠』で揺蕩っているだけなんじゃないかとも思いました。
自分の可能性を探ってばかりで、何も始めない、同時に、自分の向き不向きを見ずに、世の中の景気のよさそうなものにつられて、自分もやりたくなるという可能性の罠です。
やっている間は鬱にはなりませんよ。やっている間は。
一昔前から、World Wide Web (ワールド・ワイド・ウェブ 、略名: WWW)もアフリエイト広告、フリーマーケット、Youtubeなど、どこも銭の勘定を忘れるひまがない有様で、これは、個人の脳にも影響与えているんですが、生成AIも同様のようですね。
ただ個人で楽しめばいいものを、世間が銭集めに使いだすと、やはり自分も、ということになり、使っていても、つい商売になるかどうかを考えてしまうようになっている気はします。
しかし、生成AIで一から十まで作った作品とか、それが売れてしまう世の中なんですね。
20世紀以来の複製芸術も生成AIって極まった感があります。
欲望の解消や刺激の消費だけが芸術作品に残される時代なのでしょうか。
ああ、これは生成AIに書かせていませんよ。